エイチ、ティ、ティ、ピー、コロン、スラッシュ、スラッシュ、ダブル、ダブル、ダブル、ほにゃらら。ブラウザのURL欄にそう打ち込むと、彼方のサーバからデータが送られてきて、スクリーンに情報が映し出される。自己紹介や趣味について、日記のようなもの、来訪者がメッセージを残せるゲストブック。そして、次の見知らぬサイトを見つける手がかりとなるリンク集。その時代のネットサーファーは、リンクからリンクへと渡り歩く冒険者のようなものだった。
そんなリンクを巡るうち見つけたサイトがある。暗闇のなかに浮かび上がる、緑色のアスキー文字。データが破損した廃墟のなかをさまようようなそのサイトは、JODIというアーティスト・デュオによって作られたものだった。wwwwwwwww.jodi.org。「ダブル」が九つも連なるそのアドレスは、打ち間違いのようにも、呪文のようにも見える。ところがソースコードを開くと、画面上では崩れて見えた文字列の裏側に、核兵器の設計図を思わせる図像が現れる。ブラウザに表示される画面だけでなく、アドレスやソースコードまでが作品になりうる。そのことを鮮烈に示した、初期net.artを象徴する作品だった。
Heath Buntingの《_readme》(1998)は、自身について書かれた新聞記事の単語を、一つひとつ「単語.com」へとリンクさせた作品である。公開された当初、その多くは存在しないアドレスへの行き止まりだった。ところが数年のうちに、企業や個人がごくありふれた単語までドメインとして登録し、記事はいつのまにか実在するウェブサイトへの入口で埋め尽くされていった。副題は「Own, Be Owned or Remain Invisible(所有するか、所有されるか、不可視のままでいるか)」。日常語がドメインという資産へ変わっていく過程を、ただ待つことで記録した作品である。
Vuk Ćosićは1997年、documenta Xが会期終了後に公式サイトを閉鎖すると予告したことを受け、そのサイトを丸ごとコピーし、リュブリャナの自身のサーバに置き直した。《Documenta Done》である。変わったのは、サイトの中身ではなく、それが置かれている場所、すなわちアドレスだった。複製可能なデータであっても、「どこにあるか」が変われば、その意味も変わる。この行為はデジタルな盗用であると同時に、ウェブサイトをレディメイドとして扱う試みでもあった。
1999年、スイスを拠点とするアート・グループetoyは、玩具のオンライン販売会社eToysから「etoy.com」の使用をめぐって訴えられた。etoyはすでにそのドメインを使用していたが、急成長中だったeToysは、名称の類似が消費者の混乱を招くとしてドメインの使用停止を求めた。これに対してetoyは、支援者を「兵士」として組織し、《Toywar》と名づけたオンライン・キャンペーンを展開する。法廷闘争、メディア戦略、ネット上の抗議行動が一体となり、最終的にeToysは訴えを取り下げた。ドメインをめぐる所有権の争いそのものが、作品へと転化したのである。
2000年代以降、Rafaël Rozendaalは、一つの作品に一つのドメインを与え、そのURLを作品名として扱う制作を続けてきた。作品を購入すると、そのドメインの権利も買い手へと移る。ただし購入者には、作品をインターネット上で公開し続ける義務が課される。作品は所有されても、私有化されない。ここではドメインの名義変更や更新といった管理行為そのものが、作品の継続条件となっている。
Aleksandra Domanovićは、消滅した国家ユーゴスラビアに割り当てられていた国別ドメイン「.yu」が、2010年3月30日にインターネットから正式に削除された出来事を取り扱った。国家が地図から消えたあとも一定期間残り続けたそのアドレス空間は、やがてDNSの体系からも失われた。国がなくなれば、その国に対応するインターネット上の「土地」もまた消える。
こうして振り返ると、ドメインは単なる技術的な識別子ではなく、所有、言語、領土が交差する場所だったことがわかる。インターネットにおいて希少なものはそれほど多くない。データはいくらでも複製できる。しかし同じドメイン名は、二つと存在できない。ドメインは、インターネットに組み込まれた数少ない希少財の一つなのである。
短く覚えやすい名前は一等地として売買され、投機家によって保有され、企業によって買い占められる。ツバルは国別ドメイン「.tv」の使用権から国家財政にとって無視できない収入を得てきた。住民が強制移住させられたチャゴス諸島に割り当てられた「.io」は、いまやテクノロジー企業やスタートアップに好まれるドメインとなっている。ブロックチェーン上でも「.eth」のような名前が資産として売買され、90年代のドメイン市場で見られた投機や先取り登録が、今も異なる技術基盤の上で繰り返されている。
価値を認められた土地は、とうに誰かのものになっている。売買と占有をくぐり抜けて残されるのは、長く、意味をなさず、誰にも望まれなかった名前だけである。インターネットのフロンティアはすでになくなったと言われる。だが、なくなったのは良い土地の入口であって、辺境そのものはなお広がり続けている。
「インターネットに残された最後の土地を所有しよう——あなたの本当の夢が、ここで実現する。」
荒野の写真を掲げ、不動産広告のような口調で始まるexonemoの《The Last Acres of the Internet》は、その残された領域を「最後の土地」として販売するプロジェクトである。販売するのは、登録可能な上限である63文字のランダムな文字列に「.land」を付けたドメインである。覚えられない。口頭では伝えられない。短さと記憶しやすさが価値を決めてきたドメイン市場において、それはデジタルのマンハッタンの正反対に位置する。地価が限りなくゼロに近い名前である。
この63文字のアドレスはそのまま、一つの風景に変換される。土地の表面を埋めているのはUnicodeの文字である。まだ文字が割り当てられていない符号位置には、豆腐(□)が並ぶ。フォントは作品内に固定されていないため、将来その位置に新しい文字が割り当てられ、それが閲覧環境に実装されれば、ファイルそのものを変更しなくても、かつて豆腐だった場所に文字が現れる。この土地は、完成した景観ではない。文字体系の未来に開かれたまま、時間とともに変化する可能性を抱えている。
買い手に移転されるのは、作品だけではない。ドメインを更新し続け、サイトを公開し続ける責任が引き継がれる。それを怠れば、アドレスは失効する。90年代のネットアートの多くが、更新の途絶えたアドレスとともに消えてきた。作品を所有することと維持することは切り離せない。
JODIの廃墟、Buntingの買い占められた単語、失効した「.yu」。それらの歴史のあとで、《The Last Acres of the Internet》は、最後に残された土地を指し示す。それは地平線まで続くHTMLの荒野である。インターネットのフロンティアが閉じたあとに残された、誰も欲しがらなかった土地。その土地に誰かの家が建てられるのか、あるいは幾多の作品と同じ消滅の運命をたどるのか。その行く末は、購入者たちの意思に委ねられている。
インターネットの最後の土地
The Last Land of the Internet
Exhibition