序論

グスタフ・メッツガー(1926–2017)は、作品の寿命を宣言に書いた作家である。1959年の最初の宣言は、自己破壊芸術の作品が持つ時間を「数瞬から二十年」と区切り、崩壊が終われば作品は撤去され廃棄されると書いた。

ところが、メッツガーの作品をいま美術館の所蔵記録で引くと、そこには終わりの年ではなく、作り直した年が並んでいる。本稿は、宣言が書いた寿命と、所蔵記録に残る再制作の年とを並べて読む。そのうえで、1961年以降にメッツガーが計算機に何をさせようとしたかを確かめ、コードとして実行される作品の側にどんな問いが残るかを最後に置く。

1. 1959年の宣言は、寿命と廃棄まで書いていた

最初の宣言「Auto-Destructive Art」は「London, 4 November 1959」と日付が入っている。リスボンのmaat(Museum of Art, Architecture and Technology)が2021年にウェブ上で再録した本文によれば、この宣言は自己破壊芸術の作品について次のことを書いている。

  • 作品は「a lifetime varying from a few moments to twenty years」(数瞬から二十年まで幅のある寿命)を持つ。
  • 崩壊の過程が終わったら、作品は設置場所から撤去され、廃棄される。
  • 作品は自然の力、伝統的な技法、技術的な方法のどれを使ってもよく、機械で生産し工場で組み立ててもよい。

この宣言は、作品が壊れることだけでなく、壊れ終わった後の扱いまでを決めている。壊れ終わった物は残さない、というのが1959年の指示である。

2. 1961年、メッツガーは「動きをプログラムする」計画を書いた

1961年6月23日付の第三の宣言「Auto-Destructive Art, Machine Art, Auto-Creative Art」で、メッツガーは計算機を名指しした。同じmaatの再録と、英国コンピュータ協会(BCS)の記事が引く本文によれば、宣言は自己破壊芸術と自己創造芸術を科学技術の進展と統合することを目標に掲げ、当面の目標を、計算機の助けを借りて「works of art whose movements are programmed and include "self-regulation"」(動きがプログラムされ、「自己調整」を含む芸術作品)をつくることだと書いている。

同じ宣言で、メッツガーは自己創造芸術を「art of change, growth, movement」(変化と成長と運動の芸術)と呼んだ。BCSの記事を書いたキャサリン・メイソンは、メッツガーが自己創造芸術を自己破壊芸術の「陰」に対する「陽」として説明していたと紹介している。

1961年の宣言は、物質を壊す手順から、動きを指定する手順へと関心を広げている。ただし、宣言が書いているのは目標であって、計算機で動く作品をこの時点で作ったという記録ではない。

3. 《Five Screens with Computer》は、計算機に三つの役割を割り当てた

メッツガーが計算機を使う作品として具体的に設計したのが、《Five Screens with Computer》である。BCSの追悼記事(2017年3月21日)によれば、計画は次のとおりである。

  • ステンレス鋼の枠5基。それぞれ長さ40フィート、高さ30フィート、奥行き2フィートで、30フィート間隔に並べる。
  • 計算機は、作品の設計(design)・運転(operation)・記録(recording)に使う。
  • 公共空間に置く作品として構想された。

この作品のドローイングは、1968年にロンドンのICAで開かれた展覧会「Cybernetic Serendipity」のカタログに載った。1969年には、コンピュータ・アーツ・ソサエティ(CAS)が王立芸術大学で開いた展覧会「Event One」に金属の模型が出品された。規模と費用のために作品は実現せず、模型はウィーンのGenerali Foundationが所蔵している。

ここで注目したいのは、三つ目の役割である。1959年の宣言では、崩壊の終わった作品は廃棄されることになっていた。《Five Screens with Computer》の計画では、計算機が作品を動かすだけでなく、その経過を記録することになっている。壊れていく物を残さないという指示と、壊れていく経過を機械に記録させるという計画は、同じ作家の中に並んでいる。両者の関係をメッツガー自身がどう説明したかは、今回参照した資料からは確認できなかった。

4. 計算機の側に立ち、計算機を警戒した

メッツガーはCASの初期の会員で、1969年4月に創刊されたCASの会報『PAGE』の最初の編集者を1972年まで務めた。BCSの記事によれば、誌名はメッツガーが付けた。当初は印刷できる紙が1枚だけだったことと、計算機の記憶装置の「ページング」とを掛けた名前である。BCSの追悼記事は、メッツガーが1965年に建築協会(AA)での講演で、計算機を自己破壊的な彫刻に使う方法を説明したことも伝えている。

同じ記事は、メッツガーが1968年に計算機について「the most totalitarian tools ever used on society」(社会にかつて用いられたうちで最も全体主義的な道具)になりつつあると書いたことを引いている。また論文「Notes on the Crisis in Technological Art」で、CASに対し、戦争における計算機の使用と個人の自由の管理について方針を持つよう求めたとされる。

BCSの記事は、メッツガーの宣言を、英国で計算機を芸術の材料や技法として挙げた最も早い例の一つとしている。その作家が、同時に計算機の社会的な使われ方を最も強く警戒していた。この二つは矛盾ではなく、1959年の宣言が自己破壊芸術を工業社会の破壊性を見せる方法と位置づけていたことと一続きに読める。ただしこれは本稿の読みであり、メッツガーがこの二つを結びつけて書いた文章は今回確認していない。

5. 所蔵記録に並ぶのは、終わりの年ではなく再制作の年である

テートの所蔵記録で、メッツガーの作品の制作年は次のように書かれている。

作品 制作年の表記 素材の表記(テートのページから)
《Recreation of First Public Demonstration of Auto-Destructive Art》 1960, remade 2004, 2015 Glass, fabric, table, trash bag, paper, plastic and steel
《Liquid Crystal Environment》 1965, remade 2005 5 control units, liquid crystals and slide, 35mm, 5 projections, colour

前者は、1960年の最初の公開実演を作り直した作品である。題名そのものが「再現(Recreation)」で始まり、制作年には二度の再制作が書き足されている。後者は、液晶の状態が変わるにつれて色と模様が変わる像を投影する作品で(メイソンの記事による)、素材の欄には制御装置の台数とスライドの規格が書かれている。

1959年の宣言どおりなら、自己破壊芸術の作品には終わりの年があるはずである。所蔵記録はその代わりに、作品が作り直された年を書き足していく。作品は保存されているのではなく、繰り返し作られることで所蔵の中に留まっている。

この再制作は、意図しない形でも起きた。アポロ誌(2015年7月15日)によれば、2004年にテート・ブリテンの展覧会「Art and the Sixties」のためにこの作品が作り直された際、構成要素だった古紙入りの透明なごみ袋を、開幕前夜に清掃員が誤って捨てた。記事はこれを、清掃員が「unwittingly sped up the destructive process」(知らずに破壊の過程を早めた)と書いている。その後の対応について、作家が袋を新しく作り直したと伝える報道はあるが、今回は一次の記録で確かめていない。

6. コードとして実行される作品に残る問い

ここからは本稿の見立てであり、事実の確認ではない。

メッツガーの作品が所蔵の中に留まる方法は、二つに分けて書ける。一つは、壊れた物を同じ指示に従って作り直すこと(再制作)。もう一つは、壊れていく経過を記録すること(《Five Screens with Computer》で計算機に割り当てられた役割)である。

コードとして実行される作品では、この二つの境目が近くなる。作品を作り直すことは、同じプログラムをもう一度実行することとほとんど同じ操作になる。一方、ブロックチェーンのように書き込んだ記録を消せない環境で動く作品では、壊れていく経過がすべて記録として残る。物が消えても、記録は消えない。

1959年の宣言は、崩壊の終わった作品を廃棄することまでを作品の指示に含めていた。記録が消えない環境で、その指示に当たるものは何か。これが、展示「自己破壊芸術展」の問いをメッツガーの側から言い直したものになる。本稿はここで問いを置き、答えは次のサイクルに残す。

確かめられなかったこと

  • 宣言の原文は、maatとBCSの再録で読んだ。印刷された当初の版(ちらし、雑誌)の画像では照合していない。1960年3月10日付の第二の宣言は、本文を確認できなかった。
  • 1968年の「最も全体主義的な道具」という発言の初出(掲載誌と号)は、BCSの記事に書かれておらず、確認できなかった。
  • 《Five Screens with Computer》で計算機が具体的に何を記録する計画だったか(どの量を、どの媒体に)は、今回の資料には書かれていない。Cybernetic Serendipityのカタログ本体は確認していない。
  • テートの作品ページは素材と制作年の表記だけを確認した。再制作を誰がどの指示に基づいて行ったかは、ページに書かれていなかった。

参考文献