序論:知覚の臨界点における移動と静止

現代美術作家であり、サーファーという身体的背景を持つ古澤龍は、映像、写真、絵画といった既存の視覚メディアの枠組みを、デジタル的な計算処理と物理的な介入によって解体・再構成する実践を続けてきた 1。2026年4月にNEORT++で開催される個展「Passing」において発表される新作《Passing》は、列車の車窓風景という、近代以降の人間にとって最も普遍的な「移動の風景」を素材としている 3。本作は、映像データという「時間の積層体」を仮想的な三次元ボリュームとして扱い、その断面を自在に操作することで、私たちが自明のものとして受け入れている「通過」という時間経験そのものを変容させる試みである 3

古澤の表現の核心には、情報環境におけるリアリティの「遠さ」と「近さ」を巡る問いがあり、それはパンデミック以降のネットワーク社会における身体感覚の変容とも密接に呼応している 1。新作《Passing》を理解するためには、列車の窓という「近代的なスクリーン」がもたらした知覚の変容を歴史的に遡りつつ、古澤が独自に開発した「imgtrans」等の計算機的手法が、いかにして視覚メディアを「時空間の彫刻」へと昇華させているかを詳細に分析する必要がある 5。本報告書では、新作のステートメントを出発点とし、古澤の過去の作品群、技術的背景、そしてメディア論的・美術史的文脈を統合することで、彼の作品が提示する新たな知覚の地平を論考する。

移動の現象学:車窓風景と運動視差のメカニズム

新作《Passing》のステートメントが指摘するように、列車の窓から風景を眺める際、私たちは無意識のうちに「速度の勾配」から奥行きを読み取っている 3。この現象は、心理学および知覚科学において「運動視差Motion Parallax)」として定義されるものである 7。観察者が移動する際、網膜上の像の移動速度は対象物との距離に反比例する。この生物学的な知覚メカニズムが、二次元的な視覚情報に対して三次元的な立体感を与える重要な手がかり(深度キュー)となっている 7

運動視差による知覚の階層構造

運動視差がもたらす知覚の構造は、対象の距離に応じて以下の表のように整理することができる。

対象の階層 網膜上の移動速度 知覚される奥行き 視覚的特性
極近景(電柱、線路脇の草) 極めて高速 最も近い 形状が不鮮明な「線」へと抽象化される
近景(家屋、街路樹) 高速 近い 視差が大きく、立体感が強調される
中景(田園、森) 中速 中間 形態が安定して知覚される
遠景(山並み、雲) 低速(ほぼ静止) 遠い 運動の変化が小さく、背景として機能する

古澤は、この「速度の勾配」が、観察者と対象が同じ三次元空間を共有し、時間が一方向に流れるという前提のもとで成立していることを鋭く指摘する 3。《Passing》におけるデジタル処理は、この前提条件、すなわち「時間の同時性」を一枚のフレーム内で解体することにある。通常、ビデオカメラのシャッターが切られる瞬間、画面内の全ピクセルは同一の時刻を記録する。しかし、古澤の作品では、画面の右端と左端で参照される「時間」が意図的にずらされる。これにより、消失点へと収束するはずの遠近法的空間が、平行投影的な空間へと漸次変容していくのである 3

鉄道の旅と知覚の工業化:シヴェルブシュ的視点からの考察

古澤が《Passing》で扱うテーマは、19世紀の鉄道開通が人類の知覚に与えた衝撃を、現代のデジタル・テクノロジーによって再解釈するものと言える。ヴォルフガング・シヴェルブシュは名著『鉄道の旅』において、鉄道という新しい交通機関が、従来の馬車による旅とは決定的に異なる「パノラマ的知覚Panoramic Perception)」をもたらしたと論じている 10

パノラマ的知覚と空間の消滅

鉄道の高速移動は、車窓に近い風景を抽象的な「線」へと変質させ、旅人が風景と持っていた密接な関係、すなわち触覚的・身体的な関わりを断ち切った 11。シヴェルブシュが「空間と時間の消滅」と呼んだこの現象は、以下のようなパラダイムシフトを引き起こした。

  1. 風景の扁平化: 速度によって近景のディテールが消失し、風景は観察者の身体から切り離された「絵画的な表面」となった 11
  2. 時間の標準化: 鉄道網の整備は、各地にバラバラに存在していた地方時間を統合し、抽象的で均一な「標準時」を生み出した 10
  3. 身体の客体化: 旅行者は、自らの足で土地を踏みしめる主体から、鉄道という巨大な機械の中を運ばれる「荷物(Parcel)」のような受動的存在へと変容した 12

古澤の《Passing》は、この「パノラマ化」された視覚を、デジタル計算機という現代の「機械アンサンブル」によってさらに別の次元へと押し進める試みである 14。シヴェルブシュが論じたのは、速度による風景の「情報の欠落」であったが、古澤は映像データを「厚みのあるボリューム」として捉え直すことで、扁平化した風景の中に「異質な時間軸」を再注入し、空間と時間の秩序を静かに、かつ構造的に解体していく 3

時空間ボリュームの幾何学:映像を「肉」として扱う

古澤龍の作品における最も重要な技術的基盤は、映像を「時間軸を持った三次元的な立体(Space-Time Volume / Video Cube)」として扱う点にある 1。通常のビデオ再生は、この立体を時間軸に対して垂直な断面(フレーム)として一枚ずつ提示していく、極めて限定的なサンプリングプロセスである 2

「imgtrans」:時空間操作のツールキット

古澤が開発したPythonライブラリ「imgtrans」は、このビデオ・ボリュームに対して自由な角度から断面を切り出す(スライスする)ことを可能にする 5

  • 積層(Stacking): 連続するビデオフレームを奥行き方向に並べることで、X(横)、Y(縦)、T(時間)の3軸を持つボクセルの集合体を形成する 5
  • マニューバ・デザイン(Maneuver Design): ボリューム内を通る「切り出し断面」の軌跡(マニューバ)を設計する 5。これによって、通常の再生では決して現れない「歪んだ時間」の断面が抽出される。
  • 時空間の塑性: このビデオ・ボリュームは、あらゆる角度から切り出すことが可能な、色彩情報を蓄えたプラスチックな「塊」として扱われる 5

この手法は、映像表現における「スリットスキャン(Slit-scan)」の原理を計算機的に拡張したものである 16。スリットスキャンは、時間の経過を空間の歪みとして定着させる技法であるが、古澤はこれを単なる視覚効果としてではなく、メディアの構造自体を問い直すための「彫刻的プロセス」として用いている 2

計算機的処理のモデル

古澤が行っている処理は、数学的には時空間座標を新たな座標へと写像する変換関数を定義することと等価である 5

ここではビデオ・ボリュームである。こにおいて、座標の変化に伴って参照される時間を線形に変化させる(断面角度を回転させる)ことで、《Passing》で見られるような「遠近法から平行投影への漸次的な変容」が実現される 3

投影法の変容:消失点からの解放と東アジア的空間

《Passing》のステートメントにおける核心的な記述は、「消失点へと収束する遠近法的空間から、消失点のない平行投影への変容」である 3。これは、西洋美術の伝統である「線遠近法(Linear Perspective)」から、東アジアの絵画伝統や現代の図学で用いられる「軸測投影法(Axonometry)」への移行を、デジタル処理の過程でシミュレートすることを意味する。

投影法による空間認識の差異

評価項目 線遠近法 (Linear Perspective) 平行投影 / アクソノメトリー (Axonometry)
視点の本質 固定された単一の「目」 17 「いたるところにあり、どこにもない」 disembodied eye 19
空間の構造 消失点に収束するピラミッド型空間 21 平行な線は無限遠まで平行を維持する 20
深度の表現 遠くのものほど小さく描かれる(短縮法) 18 距離に関わらず物体のサイズが維持される 19
時間との関係 「凍結された一瞬」を切り取る 17 移動する視点を許容し、時間の連続性を包摂する 20
歴史・文化 イタリア・ルネサンス、客観的科学 17 中国の山水画、日本の絵巻物、CAD 20

古澤の《Passing》において行われる断面角度の回転は、カメラという「遠近法的な装置」が捉えた映像から、時間軸を空間軸へと読み替えることで、平行投影的な構造を抽出する行為である 3。線遠近法が、世界を観察者という「中心」に秩序づける装置であるならば、平行投影は中心を解体し、あらゆる場所を等価に扱う 19。古澤はこの変容を「水平線を媒介に」行うと述べており、そこには地平線という消失点の座が、垂直な時間の壁へと立ち上がっていくような、ダイナミックな空間的再編が示唆されている 4

サーファーのまなざし:流動する風景との一体化

古澤龍の作品を特徴づけるもう一つの重要な側面は、彼がサーファーであるという点である。2024年にアルス・エレクトロニカのニュー・アニメーション・アート部門でオノラリー・メンションを受賞した《Mid Tide \#3》は、その身体的経験が結実した作品である 2

波という「時間的連続体」の解釈

古澤にとって、サーフィンにおける「波を待ち、波に乗る」という行為は、知覚の基準が変容する極めて稀有な体験である。海面において視点は固定されず、身体は波というエネルギーの流動と一体化する 2

  • 《Mid Tide \#3》: 岩に打ち寄せる波を3時間半にわたって定点撮影した4K120FPSの映像を素材としている 2。古澤は、この膨大なフレームの積層(ビデオ・ボリューム)から、通常の時間軸とは異なる軌跡で断面を切り出した。
  • 時間の多重性: この作品では、人間の目では知覚できない「波しぶきの一粒一粒の形」という極めて短い時間単位と、潮位の変化という極めて長い時間単位が、同一の画面内に再構成される 2
  • 波の特性: 古澤は、岩などの不動の物体が時空間操作によって変容するのに対し、波は「時間的にも空間的にも連続している」ため、歪められた時空間の中でもその形態を維持し続けることに注目した 2。この連続性が、鑑賞者にとっての知覚のガイドラインとなる。

《Passing》における列車の移動風景もまた、この「流動する連続体」としての風景の再解釈という文脈上に位置している。列車の速度と波の速度、車窓というフレームと海面というフレーム。古澤は、異なる速度領域における身体感覚を、デジタル処理というフィルターを通すことで、普遍的な知覚の問いへと変換しているのである 2

「YOF」におけるコレクティブな実践とメディアの物質性

古澤龍は2015年より、大原崇嘉、柳川智之とともにアーティスト・コレクティブ「YOF(ヨフ)」としても活動している 26。YOFの活動は、視覚メディアにおける色彩や空間の「プラグマティックな(実用的な、あるいは言語以前の)」リサーチに基づいており、視覚表現の現在性を問い直すものである 26

「2D Painting」と実在性の揺らぎ

YOFの代表的なプロジェクトである「2D Painting」シリーズでは、画面上の色面と背後の三次元空間とが交錯する視覚的な経験を通じて、リアリティの成立条件そのものが問い直される 27

  • バーチャルの現実化、現実のバーチャル化: 仮想的なイメージを物理的な絵画的平面に落とし込む一方で、現実の光や影をデジタル的な解像度の問題として再処理する 27
  • イメージの物質性: 映像やデジタルイメージを、単なる情報の投影面としてではなく、肉体的な質感を持った「物質」として捉え直す視点。新作《Passing》のステートメントにある「映像を写真の連続体として厚みを持たせる」という記述は、この「イメージの物質化」という思考と深く結びついている 3

古澤の個人活動が「身体感覚と時空間の変容」に焦点を当てているのに対し、YOFでの活動はより「メディア自体の物理的・制度的構造」を分析的に解体する側面が強い。しかし、両者は「イメージを固定するプロセスそのものを素材として扱う」という点において、相補的な関係にある 6

結論:時間の「断面」からの解放

古澤龍の新作《Passing》、およびこれまでの全作品を通じて一貫しているのは、私たちが普段「現実」として受容している視覚秩序が、いかに特定の技術的パラメーター(遠近法、単線的な時間、固定された視点)に依存しているかを、鮮やかに暴き出すことにある 2

彼の作品は、ビデオカメラという「近代の目」が生成するデータを一度解体し、それを「時空間ボリューム」という、人間が直接知覚することのできない高次元の形式へと再構成する。そして、そこから「あり得たかもしれない別の時間」の断面を切り出すことで、私たちの身体に新たな知覚の基準をインストールしようと試みる 2

《Passing》において、消失点が消え、遠景と近景の速度の勾配が平行なパターンの連なりへと変容するとき、私たちは列車の窓から外を眺めるという日常的な行為から、宇宙的とも言える「時間の厚み」の中へと投げ出される。それは、シヴェルブシュが論じた、鉄道による「空間と時間の消滅」という喪失の物語を、デジタルという新たなメディアを用いて、知覚の「拡張」と「再構築」の物語へと書き換える行為に他ならない。

古澤龍の提示する「通過」は、もはや目的地へ向かうための手段としての移動ではない。それは、空間と時間の秩序が静かに解体される中で、私たちが「今、ここ」という唯一無二の断面を、いかにして別の角度から見つめ直すことができるかという、深い思索を伴う知覚の旅なのである。

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補足:古澤龍の主要作品とその技術的・哲学的特性

作品名 発表年 形式 主要な技術・手法 探求のテーマ
《Passing》 2026 映像インスタレーション ビデオ・ボリュームの回転、平行投影への変容 4 列車の車窓、速度の勾配、消失点の解体 3
《Mid Tide \#3》 2024 映像インスタレーション 4K120FPS、時空間ボリューム抽出、imgtrans 2 サーフィンの身体感覚、波の連続性、時間の厚み 1
《Slack Tide \#1》 2024 3面ディスプレイ 異なる時間軸の同時提示、スリットスキャン 1 映像の重力、時間経過に伴う空間的変容 25
《2D Painting》 2019- 平面、立体 デジタル処理と物理的介入の融合 (YOF) 26 スクリーンの物質性、仮想と現実の等価性 27

古澤はこれらの作品群を通じて、デジタルという抽象的な領域と、サーフィンという極めて具体的な身体的経験を架橋し続けている。彼の手によって操作される「時間」と「空間」は、単なる物理量ではなく、私たちの生のリアリティを構成する、柔軟で、かつ重みを持った「素材」へと変貌を遂げているのである 2

引用文献

  1. 古澤龍 \- ICC, https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/furusawa-ryu/
  2. Mid Tide \#3 \- Prix Ars Electronica 2024, https://calls.ars.electronica.art/2024/prix/winners/13962/
  3. Passing \- artscape, https://artscape.jp/exhibitions/66367/
  4. 古澤龍 「Passing」 (NEORT++(ネオルトツー)) \- Tokyo Art Beat, https://www.tokyoartbeat.com/events/-/Ryu-Furusawa-Passing/neort/2026-04-17
  5. RyuFurusawa/imgtrans: Spatio-temporal manipulation of video data \- GitHub, imgtrans" target="_blank" rel="noopener noreferrer">https://github.com/RyuFurusawa/imgtrans
  6. CV \- Ryu Furusawa Web, https://ryufurusawa.com/CV
  7. Visually perceived depth from single-dot circular trajectories \- PMC, https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12717191/
  8. Depth Perception \- Psych Exam Review, https://psychexamreview.com/depth-perception/
  9. "Depth Perception" in: Stevens' Handbook of Experimental Psychology and Cognitive Neuroscience online, https://personal.fgb.vu.nl/\~ebrenner/pdfs/SHEPCN18.pdf
  10. The Railway Journey Chapter Summary | Wolfgang Schivelbusch \- Bookey, https://www.bookey.app/book/the-railway-journey
  11. Book Review: Wolfgang Schivelbusch's "The Railway Journey" | Uniwriter, https://www.uniwriter.ai/history/book-review-wolfgang-schivelbuschs-the-railway-journey/
  12. Panoramic Travel, https://raley.english.ucsb.edu/wp-content/Engl800/Schivelbusch.pdf
  13. The Railway Journey \- The Industrialization of Time and Space in the 19th Century, https://static1.1.sqspcdn.com/static/f/221758/18449447/1338242293590/Schivelbusch-
  14. Notes on Wolfgang Schivelbusch's "The Railway Journey" \- Madam Mayo, https://madam-mayo.com/notes-on-wolfgang-schivelbuschs-the-railway-journey-the-industrialization-of-time-and-space-in-the-nineteenth-century/
  15. Video frames are stacked together to form a volume \- ResearchGate, https://www.researchgate.net/figure/deo-frames-are-stacked-together-to-form-a-volume-The-right-figure-shows-a-video-cube\_fig4\_221571804
  16. A slit scanning depth of route panorama from stationary blur \- SciSpace, https://scispace.com/pdf/a-slit-scanning-depth-of-route-panorama-from-stationary-blur-1enjke9mtf.pdf
  17. Perspective (graphical) \- Wikipedia, https://en.wikipedia.org/wiki/Perspective\_(graphical))
  18. Graphical Perspective Definition, History & Types | Study.com, https://study.com/academy/lesson/graphical-perspective-definition-history-types.html
  19. Forms of parallel projection drawing \- Drawing Matter, https://drawingmatter.org/wp-content/uploads/2024/09/DMJ\_No2\_SayanSkandarajah.pdf
  20. Why the world relies on a Chinese "perspective" | by Jan Krikke \- Medium, https://jankrikke2020.medium.com/why-the-world-relies-on-a-chinese-perspective-cf3122caf67f
  21. Vanishing Point Meaning, https://www.yic.edu.et/download/Resources/I92NII/VanishingPointMeaning.pdf
  22. Understanding Projection in Graphics \- Scribd, https://www.scribd.com/document/740746427/Projections
  23. Axonometry: a matter of perspective \- IEEE Computer Society, https://www.computer.org/csdl/magazine/cg/2000/04/mcg2000040007/13rRUxNmPGg
  24. 3D projection \- Wikipedia, https://en.wikipedia.org/wiki/3D\_projection
  25. 「ICC アニュアル 2024とても近い遠さ」アーティスト・インタヴュー 古澤龍 \- YouTube, https://www.youtube.com/watch?v=FiB6NUJG84U
  26. ヨフ \- トーキョーアーツアンドスペース, https://www.tokyoartsandspace.jp/creator/index/Y/1444.html
  27. YOF(大原崇嘉+古澤 龍+柳川智之)「2D Painting」\- TOKAS, https://www.tokyoartsandspace.jp/archive/exhibition/2019/20191123-6957.html