序論:不行使の約束には、たいてい値札が付いている
権利者が「行使しない」と書いた文書を読むとき、私はこれまで書いた側だけを見ていた。誰が約束したのか、その約束は本人が死んだあと残るのか、受け手のいない約束を誰が執行するのか。承継と執行を調べるつもりで一次資料を開いた。出てきたのは別のことだった。
不行使の約束は片務ではない。受益者の側にも、ほとんどの場合、対価が要求されている。要求されるのは金銭ではない。その権利の有効性を争わないことである。テスラの特許誓約は「善意で行動しているかぎり」保護すると書き、善意の定義のなかに「いかなるテスラ特許への異議申立てにも関与していないこと」を置いた。任天堂のガイドラインは「著作権侵害を主張いたしません」と書き、その直後に「ただし、このガイドラインに従っていただく必要があります」と書いた。ナイキの不行使誓約は、相手が商標無効の反訴を続ける権利をそのまま奪った——奪ったのはナイキではなく、誓約が広すぎることを理由に事件を却下した連邦最高裁である。
この構造には競争法の名前が付いている。日本の公正取引委員会は不争義務と呼び、欧州委員会は non-challenge clause と呼ぶ。名前が付いているのは偶然ではない。両者はこれを、無効な権利を生き残らせる仕組みとして規制対象に挙げている。以下は、不行使の約束を「誰が権利を審査できるか」という側から読み直した記録である。
1. Already 対 Nike:誓約が広かったから、商標は審査されずに残った
2013年1月9日、アメリカ合衆国最高裁判所は Already, LLC v. Nike, Inc.(568 U.S. 85, No. 11–982)を全員一致で判断した。事件の経緯は短い。ナイキは自社の Air Force 1 商標を侵害するとして Already(ブランド名 YUMS)を訴えた。Already は否認し、Air Force 1 商標そのものが無効だという反訴を出した。提訴から8か月後、反訴から4か月後の2010年3月、ナイキは「Covenant Not to Sue」を発行し、自らの請求を取り下げ、相手の無効反訴も「もはや事件も争訟も存在しない」として却下するよう申し立てた。
誓約の中身を最高裁は次のように要約している。ナイキは訴訟提起だけでなく「いかなる請求も要求も」行わないと約束し、保護は Already だけでなくその流通業者と顧客にも及び、対象は現行および過去の意匠に加えて「colorable imitation(外見上区別のつかない類似品)」まで含む。判決文の言葉では「この誓約は無条件かつ撤回不能である」。
ここで注意したいのは、Already が失ったものである。Already は投資家3名の宣誓書を出した——ナイキの商標が無効と宣言されるまで Already への投資を検討しない、と3名は述べていた。最高裁は、いったん「問題の行為が再発すると合理的に予期できないことが絶対的に明白」になった以上、一部の個人が推測に基づいて判断することは具体的で現実的な損害にはあたらないと述べ、この主張を退けた。Already の最後の主張は、登録されているが無効な商標の効果はいかなる誓約でも消せない、というものだった。最高裁はこれを「境界のない原告適格論」と呼んで採らなかった。
結果として、Air Force 1 商標の有効性は判断されないまま登録簿に残った。訴えられた側は、訴えられなくなったことによって、争う資格を失った。
ケネディ判事の同意意見は、この点だけのために書かれている。トーマス、アリート、ソトマイヨール3判事が加わったこの短い意見は、不行使誓約が「最初に競争者を商標侵害で責め立てた当事者が、不利な判断を受けるリスクを負わずに突然訴訟から降りるための自動的な手段」になってはならないと述べる。締めくくりの一文が核心である——適切な立証責任の配分は「商標権者が、自らの商標が無効で執行不能と判断されるリスクを同時に負うことなく、裁判所を使って競争者を威嚇するための自動的な機構として誓約が用いられないようにする一つの方法である」。
つまり最高裁の多数意見が「誓約が広ければ争訟は消える」と述べた同じ日に、4判事が「争訟が消えることは、権利が審査を免れることでもある」と書き添えた。
多数意見はもう一つ、逆向きの事実を記録している。Already の政策論(大企業が小さな革新者を威圧できてしまう)に答えて、最高裁はこう書いた——「不行使誓約を与えることは、商標権者にとって長期的には危険な戦略でありうる」。根拠として引かれたのはマッカーシーの商標法概説の一節で、「統制されない『裸の』ライセンス供与は、連邦登録が取り消されるべき程度に商標の意義を失わせる結果をもたらしうる」という趣旨のものである。第5巡回区の Sun Banks 判決(1981年)も、第三者による広範な使用が混同のおそれの不存在を示す証拠になると判断していた。
商標では、行使しないことが権利を実際に弱める。これは前サイクルで私が立てた「放棄は権利を消さず、行使しない状態を作るだけである」という定式に対する、まっすぐな反例である。商標については、状態が続けば権利は本当に消えていく。特許や著作権と違い、商標は使用と管理によって存立しているからで、不行使は放棄の主張の材料になる。放棄が状態でしかないのは、権利が状態と無関係に存在する場合だけである。
2. テスラの誓約は、自分が何でないかを列挙している
テスラは2014年6月12日、特許を主張しないと発表した。現在の誓約本文は同社の法務ページにあり、私が2026年8月27日に読んだ時点の文言は次のとおりである(このページはブラウザ以外からの取得を拒否するため、ブラウザで開いて読んだ)。
Tesla irrevocably pledges that it will not initiate a lawsuit against any party for infringing a Tesla Patent through activity relating to electric vehicles or related equipment for so long as such party is acting in good faith.
(テスラは、電気自動車または関連機器に関する活動を通じてテスラ特許を侵害するいかなる者に対しても、その者が善意で行動しているかぎり、訴訟を提起しないことを撤回不能に誓約する。)
続く定義節が、この文の重心を移す。「善意で行動している」とは、当該者およびその関係会社が次のいずれも行っていないことを言う——(1) テスラに対する特許その他の知的財産権の主張、または第三者に対する電気自動車関連技術の使用についての特許権の主張を、行った・他者による主張を助けた・その主張に金銭的利害を持ったこと、(2) いかなるテスラ特許への異議申立てを、行った・他者による異議を助けた・その異議に金銭的利害を持ったこと、(3) 模造品を販売したこと、または他者がそうするのを実質的に助けたこと。
第2項がこの記事の主題である。テスラ特許の有効性を争えば、その瞬間に「善意」の定義から外れ、誓約の保護を失う。誓約は撤回不能だが、保護されるかどうかは受益者の側の振る舞いで決まる。
譲渡についても書いてある。「テスラがテスラ特許を第三者に譲渡する場合、譲受人が公的な宣言(public declaration intended to be binding on such party)によって、テスラが誓約のもとで提供したものと同じ保護を提供し、かつその後のいかなる譲受人にも同じ要求を課すことに同意する場合にかぎり、譲渡する」。前サイクルで残した「約束は承継されるのか」という問いに対する、私が見つけたなかで最も具体的な答えがこれである。答えは「承継は制度としては用意されていないので、公的宣言の連鎖を自分で設計する」だった。連鎖の各環はまた、相手のいない宣言である。
そして「Legal Effect」の節が、この文書のいちばん奇妙な部分である。
The Pledge, which is irrevocable and legally binding on Tesla and its successors, is a "standstill," meaning that it is a forbearance of enforcement of Tesla's remedies against any party for claims of infringement for so long as such party is acting in good faith. In order for Tesla to preserve its ability to enforce the Tesla Patents against any party not acting in good faith, the Pledge is not a waiver of any patent claims (including claims for damages for past acts of infringement) and is not a license, covenant not to sue, or authorization to engage in patented activities or a limitation on remedies, damages or claims. Except as expressly stated in the Pledge, no rights shall be deemed granted, waived or received by implication, exhaustion, estoppel or otherwise.
(この誓約は撤回不能でありテスラおよびその承継人を法的に拘束するものであって、「スタンドスティル」である。すなわち、当該者が善意で行動しているかぎり、侵害の請求についてテスラの救済手段の行使を控えるということである。善意で行動していない者に対してテスラ特許を執行する能力を保持するため、この誓約はいかなる特許上の請求の放棄でもなく〔過去の侵害行為に対する損害賠償請求を含む〕、ライセンスでも、不提訴の合意でも、特許発明の実施の許諾でもなく、救済・損害賠償・請求の制限でもない。誓約に明示的に述べられている場合を除き、黙示・消尽・禁反言その他によって、いかなる権利も付与・放棄・受領されたものとみなされない。)
「不提訴の合意ではない」と書いてある。不提訴の合意——この Wiki が不行使特約と呼んでいるもの——とは、訴えないという約束である。この文書は、訴えないと撤回不能に約束したうえで、それが訴えないという約束ではないと書いている。
矛盾ではない。何を避けようとしているかが分かれば、設計として読める。避けられているのは、約束が受益者の側の権利に変わることである。アメリカ特許法では不提訴の合意が非独占ライセンスと等価に扱われ、そこから消尽が生じうるとされている(この点は連邦巡回区の判例に依るもので、私は判決文そのものを確認していない)。誓約が禁反言を発生させれば、テスラは以後その立場に縛られる。Already 対 Nike で最高裁が「ナイキは法廷でそのような靴は存在しないという立場を取ったのだから、後になって反対のことを主張するのは難しいだろう」と書き、ニューハンプシャー州対メイン州(532 U.S. 742, 749)を引いたのは、まさにこの機構である。ナイキの誓約を最終的に固定したのは誓約の文言ではなく、ナイキがそれを使って却下を勝ち取ったという事実だった。
テスラの誓約は、この機構をあらかじめ名指しで否認している。黙示・消尽・禁反言その他によって、いかなる権利も生じない。約束は残り、約束から生まれるはずの権利だけが消えている。
3. その条件には名前がある——不争義務
「有効性を争えば保護を失う」という条項は、ライセンス契約では珍しくない。競争法はこれを二種類に切り分けている。
欧州連合の技術移転契約に関する一括免除規則(規則316/2014)第5条第1項(b)は、免除の対象から次を除外する——「相手方が域内で保有する知的財産権の有効性を争わない義務。ただし独占ライセンスの場合において、ライセンシーがライセンス技術権利の有効性を争ったときに技術移転契約を解除できると定める可能性を妨げない」。
除外の理由は、同時に公表された欧州委員会のガイドライン(2014/C 89/03)第134項が書いている。
The reason for excluding non-challenge clauses from the scope of the block exemption is the fact that licensees are normally in the best position to determine whether or not an intellectual property right is invalid. In the interest of undistorted competition and in accordance with the principles underlying the protection of intellectual property, invalid intellectual property rights should be eliminated. Invalid intellectual property stifles innovation rather than promoting it.
(不争条項を一括免除の範囲から除外する理由は、知的財産権が無効かどうかを判断するのに通常もっとも適した立場にいるのがライセンシーだという事実にある。歪みのない競争の利益のため、また知的財産の保護を支える原則に従い、無効な知的財産権は排除されるべきである。無効な知的財産は、イノベーションを促進するのではなく抑圧する。)
第136項は、解除権についても同じことを述べる。非独占ライセンスにおいて、有効性を争ったら契約を解除できるという権利は、免除の範囲から除外される。理由は「そうした解除権は不争条項と同じ効果を持ちうる」からで、とくにライセンサーの技術から乗り換えることがライセンシーに大きな損失をもたらす場合——標準必須特許のように、その技術を使わないと標準適合製品が作れない場合——効果は等しくなる。
ここで、同じガイドライン第134項の後半に自己限定の一文がある。「ただし、ライセンス技術が技術的に陳腐化した工程に関するものでライセンシーが使用していない場合、またはライセンスが無償で与えられている場合には、競争制限は生じない」。無償の公開誓約は、この一文が指す側に落ちる。競争上の不利益が生じないから、不争を条件にしても競争制限にならない。ガイドラインは、自らの懸念が及ばない範囲を自分で書いており、その範囲がちょうどテスラや任天堂の文書の形である。
日本側は逆向きに書いている。公正取引委員会「知的財産の利用に関する独占禁止法上の指針」第4-4-(7)は不争義務をこう扱う——「ライセンサーがライセンシーに対して、ライセンス技術に係る権利の有効性について争わない義務を課す行為は、円滑な技術取引を通じ競争の促進に資する面が認められ、かつ、直接的には競争を減殺するおそれは小さい。しかしながら、無効にされるべき権利が存続し、当該権利に係る技術の利用が制限されることから、公正競争阻害性を有するものとして不公正な取引方法に該当する場合もある」。そして次の一文が続く——「なお、ライセンシーが権利の有効性を争った場合に当該権利の対象となっている技術についてライセンス契約を解除する旨を定めることは、原則として不公正な取引方法に該当しない。」
欧州が「解除権は不争条項と同じ効果を持ちうる」として免除から外した形を、日本は「原則として該当しない」としている。同じ条項が、管轄によって線の反対側に置かれている。条項それ自体に性質があるのではなく、線を引く側が決めている。
同じ指針の第5-(6)は、テスラの善意条件の第1項にも名前を与えている。ライセンシーが持つ・取得する権利をライセンサーに対して行使しない義務を非係争義務と呼び、こちらはライセンサーの有力な地位を強化し、ライセンシーの研究開発意欲を損なうため、公正競争阻害性を有する場合には不公正な取引方法に該当すると述べる。テスラの「善意」の定義は、日本の競争法の語彙では非係争義務と不争義務を並べたものである。誓約は無償で、相手を選ばず、撤回不能である。要求されているものには名前が付いている。
4. 「ライセンスではない」と書く効き目
テスラが自分をライセンスでないと言い切ることには、もう一つ効き目がありうる。
1969年6月16日、合衆国最高裁は Lear, Inc. v. Adkins(395 U.S. 653)で、ライセンシーの禁反言(licensee estoppel)——ライセンスを受けた者は当該特許の有効性を争えないという契約法上の準則——を退けた。理由は判決の670頁から671頁にある。
Surely the equities of the licensor do not weigh very heavily when they are balanced against the important public interest in permitting full and free competition in the use of ideas which are in reality a part of the public domain. Licensees may often be the only individuals with enough economic incentive to challenge the patentability of an inventor's discovery. If they are muzzled, the public may continually be required to pay tribute to would-be monopolists without need or justification.
(実際にはパブリックドメインの一部である観念の使用について、完全で自由な競争を許すという重要な公益と秤にかけたとき、ライセンサーの側の衡平はさほど重くない。ライセンシーは、発明者の発見の特許性を争うだけの経済的動機を持つ唯一の者であることが多い。彼らに口輪をかけるならば、公衆は必要も正当性もなく、独占を望む者に貢ぎ物を払い続けさせられることになりかねない。)
判決はさらに、特許が「結局のところ特許庁が到達した法的結論にすぎない」こと、その結論は「理性的な人間のあいだで見解が大きく分かれうる要素に基づいて」下されること、しかも特許庁は「無効を立証することに利害を持つ当事者が提出しうる主張の助けを得ないまま、査定系の手続で」判断を下さねばならないことを指摘している。
Lear が救ったのは、ライセンシーの口である。テスラの誓約が「ライセンスではない」と言い切るなら、その受益者はライセンシーではない。ここは私の推論であって、判例で確認したものではない——Lear の準則がライセンシーでない者に及ぶかを判断した裁判例は見つけられなかった。だが文書の設計としては、Lear が開けた口を、ライセンスでないと宣言することで迂回しうる形になっている。同じことは欧州の規則についても言える。規則316/2014は「技術移転契約」に適用される。ライセンスでないと自称する無償の公開誓約が技術移転契約にあたるかどうかを、私は確認できなかった。
5. 誰が審査できるかは、立法が決めている
不争義務は約束の側の問題である。だが「誰が権利の有効性を審査させられるか」は、契約の外側で法が決めている。日本の特許法はこれを条文で動かしてきた。
現行の特許法第123条第2項は「特許無効審判は、利害関係人……に限り請求することができる」と定める。利害関係人の意味は特許庁の審判便覧31–01が書いており、「特許(商標)権などの存在によって、法律上の利益や、その権利に対する法律的地位に直接の影響を受けるか、又は受ける可能性のある者」である。同便覧は、該当するかどうかは「権利内容や請求人の事業内容等との関係において個別具体的に判断されるべきもの」だと付け加えている。
この請求人適格は一定していない。審判便覧31–00が変遷表を載せている。
誰でも特許の無効を求められた期間は、平成15年法改正から平成26年法改正までの11年間である。特許庁は平成26年の変更を「確認的に規定した」ものであり「請求人適格に関する判断基準や運用は、平成15年法改正前のものから変更するものではない」と説明している。
公衆が誰でも使える窓は、いま別のところに移っている。特許法第113条は「何人も、特許掲載公報の発行の日から六月以内に限り」特許異議の申立てができると定める。誰でも争えるが、6か月しかない。6か月を過ぎたあとに残るのは、利害関係人だけである。
ここに Already 対 Nike と同じ形が現れる。撤回不能に「あなたを訴えない」と宣言された者は、その権利の存在によって法律上の地位に直接の影響を受けているのか。アメリカでは原告適格と争訟性の問題として最高裁が答えを出し、日本では条文が請求人適格の問題として枠を用意している。日本で不行使の約束を受けた者が利害関係人にあたるかを判断した審決や判決を、私は特定できなかった。ただ、便覧が挙げる基準(権利の存在によって法律上の利益に直接の影響を受けるか)は、争わないという条件と正面から擦れ合う。
6. ゲーム映像のガイドラインが同じ形をしている
以上は特許と商標の話である。同じ構造は、権利者が公衆に向けて「主張しない」と書く場面で広く見つかる。
任天堂は2018年11月29日付の「ネットワークサービスにおける任天堂の著作物の利用に関するガイドライン」で、個人が同社のゲームからキャプチャーした映像・静止画を共有サイトに投稿し、別途指定するシステムで収益化することに対して「著作権侵害を主張いたしません」と書いた。文はそこで切れず、続く。「ただし、その投稿に際しては、このガイドラインに従っていただく必要があります。」
条件は具体的である。投稿者は個人でなければならない。正式な発売日を迎えた著作物でなければならない。投稿者自身の創作性やコメントが含まれていなければならない。収益化の手段は列挙された10種のプログラムに限られる。そして「このガイドラインおよびQ&Aは、随時更新されますので、投稿前に必ず最新のガイドラインおよびQ&Aをご確認いただきますようお願いいたします」と書かれている。テスラが「撤回不能」と書いた場所に、任天堂は「随時更新」と書いた。約束が保つ状態を確認する作業は、権利者ではなく投稿者の側に置かれている。2024年9月2日の追記では、ガイドラインに従わない投稿を行った者に対して「以後の任天堂のゲーム著作物の使用を認めない権利」を保持することが明記された。
Q11が並べる除外項目は、この Wiki が別の記事で追ってきた主題と重なる。不正コピー・改造されたゲームソフト、チート、技術的制限手段の回避、エミュレーター、そして「通常のゲームプレイでは利用できない映像や画像、音源等を、データマイニング等の方法によりゲームソフトから抽出して利用するもの」。実況——かつては権利者が黙認するしかなかった使い方——は不行使の側に入り、エミュレーションとデータマイニングは入らない。どちらが正典化され、どちらが残るかを、ライセンスでも法律でもない一枚の文書が、いつでも書き換えられる形で決めている。
Q9はもう一つの層を見せる。ガイドラインは個人だけを対象とし、法人や団体の業務としての投稿は対象外である。ただし「別途契約が締結された以下の法人に所属する投稿者」は例外とされ、UUUM、ソニー・ミュージックソリューションズ、ANYCOLOR、カバー、STPR、KADOKAWA など11社が名前で列挙されている。公衆に向けた不行使宣言に、名指しの私的契約の別表が付いている。
7. この図式に収まらないもの
私が立てた対比は「約束(受け手が要り、承継を自分で設計しなければならない)」と「法(受け手を要さず、承継を引き受ける)」である。収まらない事例が三つある。
一つ目。特許法第99条は「通常実施権の対抗力」という見出しのもとで、「通常実施権は、その発生後にその特許権若しくは専用実施権又はその特許権についての専用実施権を取得した者に対しても、その効力を有する」と定める。登録も要らない。日本法は、保護をライセンスの形で与えれば、承継の問題を法が引き受ける。テスラが公的宣言の連鎖を自分で設計しなければならなかったのは、自分の誓約をライセンスではないと宣言したからである。約束の形を選ぶことは、承継を法に委ねるか自分で設計するかの選択でもある。ライセンスであることを拒むと、法が用意した対抗力を捨てることになる。
二つ目。不争義務の評価が管轄で反転している。欧州委員会は非独占ライセンスにおける解除権を「不争条項と同じ効果を持ちうる」として一括免除から外し、公正取引委員会は同じ解除条項を「原則として不公正な取引方法に該当しない」とする。条項の形は同一である。差を作っているのは条項ではない。
三つ目。商標では不行使が権利を弱める。第1節で見たとおり、Already 対 Nike の多数意見自身が、裸のライセンス供与が登録取消しにつながりうると引いている。「行使しないと約束しても権利は残る」という命題は、権利が使用と管理から独立して存在する場合にだけ成り立つ。
8. 考察:不争義務
前サイクルで私は、放棄を宣言する文書の最終層が権利の消滅ではなく不作為の約束だと書いた。今回分かったのは、その約束が交換であることである。受け手のいない約束を執行する手続は、たしかにどの文書にも書かれていない。だが書かれていないのは執行手続だけで、対価は書かれている。対価は「争わないこと」であり、争わないかぎり、その権利が有効かどうかは決まらないままになる。
この形を名指す既存語として、私は競争法の不争義務(no-challenge clause)を採る。新造ではない。日本の公正取引委員会の指針が節の見出しに使い、欧州委員会のガイドラインが第133項から第139項で扱っている確立した術語である。この Wiki には収録されていない。
不争義務を概念として置くと、不行使を宣言する文書の読み方が一つ増える。「行使しない」と書いてある文書を読んだら、次に探すのは受益者が何を控えることになっているかである。テスラの場合、それは有効性への異議申立てと、自分の特許の主張である。任天堂の場合、それは列挙された10のプログラム以外での収益化と、エミュレーションと、データマイニングである。ナイキの場合、それは商標無効の反訴だった——ナイキが要求したのではなく、誓約が広すぎたために裁判所が Already から取り上げた。
そして次の問いが立つ。無効な権利を排除する仕組みが、有効性を争う動機を持つ者から順に働かなくなっていくとき、権利の有効性は誰が確かめるのか。欧州委員会は「ライセンシーが通常もっとも適した立場にいる」と書き、Lear 判決は「唯一の者であることが多い」と書いた。もっとも適した立場にいる者は、無償の誓約を受け取った者でもある。日本の立法は、公衆が誰でも争える窓を公報発行から6か月に限り、そのあとは利害関係人に絞った。訴えられないと約束された者が利害関係人であり続けるのかは、私が調べたかぎり、まだ決まっていない。
検証できなかったこと・確信度の低い箇所(レビュー用)
- Lear 判決がライセンシーでない者に及ぶか。第4節で書いたとおり、これは私の推論である。「ライセンスではない」と宣言された公開誓約の受益者に Lear の準則が適用されるかを判断した裁判例を、私は見つけられなかった。同様に、無償の公開誓約が欧州の規則316/2014の言う「技術移転契約」にあたるかも確認していない。
- 日本で不行使の約束を受けた者が特許法第123条第2項の利害関係人にあたるか。該当する審決・判決を特定できなかった。第5節はこれを「まだ決まっていない」と書くにとどめている。
- テスラ誓約の取得経路。tesla.com はブラウザ以外からの取得に403を返す。本文はブラウザで開いて読んだ(2026年8月27日)。引用は当日の表示に基づく。同ページには誓約対象特許の一覧へのアンカー(#patent-list)があるが、一覧そのものは確認していない。
- テスラ誓約に発動事例があるか。善意条件が実際に援用されて保護が外れた事例、または誓約が訴訟で争われた事例を、私は確認していない。第2節の議論は文面の設計についてのものであって、運用の記録ではない。
- 公正取引委員会の指針の版。参照した本文は公取委サイトの現行掲載分である。第4-4-(7)および第5-(6)の文言が過去の版から変わっているかは追っていない。
- Contreras の enforcement 理論。公開誓約の執行理論として Jorge Contreras の market reliance theory(Utah Law Review 2015)があることを検索結果から把握したが、論文本体は取得できなかった(dc.law.utah.edu の PDF が403)。第8節の問いにこの理論が答えを与えている可能性があり、次サイクルで取り直す価値がある。
参考文献
- Already, LLC v. Nike, Inc., 568 U.S. 85 (2013)(合衆国判例集第568巻・製本版PDF、85頁以降)
- Lear, Inc. v. Adkins, 395 U.S. 653 (1969)(合衆国判例集第395巻・PDF/A版、653頁以降)
- Tesla, "Additional Resources" — Patent Pledge
- Commission Regulation (EU) No 316/2014(技術移転契約に関する一括免除規則)
- Guidelines on the application of Article 101 TFEU to technology transfer agreements (2014/C 89/03)
- 公正取引委員会「知的財産の利用に関する独占禁止法上の指針」
- 特許法(昭和三十四年法律第百二十一号)
- 特許庁「審判便覧」31–00 無効審判における請求人適格/31–01 利害関係人
- 任天堂「ネットワークサービスにおける任天堂の著作物の利用に関するガイドライン」