不争義務とは、権利の有効性を争わないことを相手に義務づける、または争えば利益を失うと定める条項である。競争法の術語であり、新造語ではない。日本の公正取引委員会「知的財産の利用に関する独占禁止法上の指針」は第4-4-(7)の見出しに「不争義務」を用い、欧州委員会の技術移転契約ガイドライン(2014/C 89/03)は第133項から第139項で non-challenge clause として扱う。同指針の注は、これを「ライセンスを受けている特許発明に対して特許無効審判の請求を行ったりしないなどの義務」と説明し、受益者が自ら持つ権利を権利者に対して行使しない義務(非係争義務)とは別のものだと区別している。

不行使特約と対にして読むと、この語の効き目が出る。不行使特約は権利者の側の不作為の約束である。不争義務は受益者の側の不作為の約束である。「行使しない」と宣言する文書を読んだら、次に探すのは受益者が何を控えることになっているかである。多くの場合、控えるよう求められているのは、その権利が有効かどうかを確かめる行為そのものである。

その帰結が、この概念が指している事態である。権利は行使されず、同時に審査もされない。欧州委員会は不争条項を一括免除から除外する理由として「知的財産権が無効かどうかを判断するのにもっとも適した立場にいるのは通常ライセンシーである」「無効な知的財産権は排除されるべきである」「無効な知的財産は、イノベーションを促進するのではなく抑圧する」と述べる(ガイドライン第134項, eur-lex.europa.eu ↗ )。争う動機を持つ者から順に争えなくなっていくならば、有効性は誰も確かめない。

この概念には、自分では答えられない問いがある。不争義務を規制するのは競争法であり、競争法は競争上の不利益を手がかりに働く。無償で、相手を選ばず与えられる誓約には、その手がかりがない。欧州委員会のガイドライン第134項は、その但し書きを自分で書いている——「ライセンスが無償で与えられている場合には、競争制限は生じない」。

事例

テスラの特許誓約における「善意」の定義。 テスラは2014年6月12日に特許を主張しないと発表し、現在の誓約本文は「テスラは、電気自動車または関連機器に関する活動を通じてテスラ特許を侵害するいかなる者に対しても、その者が善意で行動しているかぎり、訴訟を提起しないことを撤回不能に誓約する」と書く。「善意で行動している」の定義には三つの条件が並び、その第2項が「いかなるテスラ特許への異議申立てを、行った・他者による異議を助けた・その異議に金銭的利害を持ったこと」がないこと、である。有効性を争えば保護を失う。同じ文書の Legal Effect 節は、この誓約が「ライセンスでも、不提訴の合意でも、特許発明の実施の許諾でもなく」、「黙示・消尽・禁反言その他によって、いかなる権利も付与・放棄・受領されたものとみなされない」と述べる(tesla.com ↗ 、2026年8月27日にブラウザで閲覧。同ドメインはブラウザ以外からの取得に403を返す)。

同じ条項が、管轄によって線の反対側にある。 欧州連合の技術移転契約に関する一括免除規則(規則316/2014)第5条第1項(b)は、有効性を争わない義務を免除の対象から除外し、解除を定める余地を認めるのは独占ライセンスの場合に限る(eur-lex.europa.eu ↗ )。ガイドライン第136項は、非独占ライセンスにおける「争ったら解除できる」という権利も、不争条項と同じ効果を持ちうるとして免除から外す。日本の公正取引委員会は逆に、「ライセンシーが権利の有効性を争った場合に当該権利の対象となっている技術についてライセンス契約を解除する旨を定めることは、原則として不公正な取引方法に該当しない」とする(jftc.go.jp ↗ )。条項の形は同一である。

訴えられなくなった者は、争う資格も失った。 Already, LLC v. Nike, Inc.(568 U.S. 85, 2013年1月9日)で、ナイキは訴訟の途中で「無条件かつ撤回不能」な不行使誓約を発行し、相手の商標無効反訴の却下を求めた。合衆国最高裁は全員一致で事件は争訟性を失ったと判断し、Air Force 1 商標の有効性は判断されないまま残った。ケネディ判事の同意意見(トーマス、アリート、ソトマイヨール3判事が加わる)は、不行使誓約が「商標権者が、自らの商標が無効で執行不能と判断されるリスクを同時に負うことなく、裁判所を使って競争者を威嚇するための自動的な機構」になってはならないと書いた(supremecourt.gov ↗ )。ここでは不争義務は条項として書かれていない。誓約の広さが同じ効果を作った。

口輪をかけないという判断が、先にあった。 合衆国最高裁は Lear, Inc. v. Adkins(395 U.S. 653, 1969年6月16日)で、ライセンシーは当該特許の有効性を争えないという契約法上の準則を退けた。理由は「ライセンシーは、発明者の発見の特許性を争うだけの経済的動機を持つ唯一の者であることが多い。彼らに口輪をかけるならば、公衆は必要も正当性もなく、独占を望む者に貢ぎ物を払い続けさせられることになりかねない」である(supremecourt.gov ↗ )。判決はさらに、特許が「結局のところ特許庁が到達した法的結論にすぎず」、その判断は無効を立証する側の主張の助けなしに査定系の手続で下されると述べる。

誰が争えるかは、立法が動かしてきた。 日本の特許法第123条第2項は、特許無効審判を請求できるのは利害関係人に限ると定める。特許庁の審判便覧31–01は利害関係人を「特許(商標)権などの存在によって、法律上の利益や、その権利に対する法律的地位に直接の影響を受けるか、又は受ける可能性のある者」と説明する。同便覧31–00の変遷表によれば、請求人適格は大正10年法の「利害関係人及審査官」、昭和34年法・昭和62年法の規定なし(判例上は利害関係人)、平成15年法の「何人も」、平成26年法の「利害関係人」と動いてきた。誰でも請求できたのは11年間である。特許法第113条の特許異議の申立ては「何人も」できるが、特許掲載公報の発行の日から六月以内に限られる(laws.e-gov.go.jp ↗jpo.go.jp ↗ )。

ゲーム映像のガイドラインも条件付きである。 任天堂は2018年11月29日付のガイドラインで、個人が同社のゲームからキャプチャーした映像・静止画を共有サイトに投稿し指定のプログラムで収益化することについて「著作権侵害を主張いたしません」と書き、続けて「ただし、その投稿に際しては、このガイドラインに従っていただく必要があります」と書く。このガイドラインは「随時更新されます」とされ、最新版の確認は投稿者の側に置かれている。2024年9月2日の追記では、従わない投稿を行った者に対して以後の使用を認めない権利が明記された。Q11の除外項目には、改造されたゲームソフト、技術的制限手段の回避、エミュレーター、データマイニングによる素材抽出が並ぶ。Q9は法人を対象外としつつ、別途契約を締結した11社に所属する投稿者を例外として名前で列挙する(nintendo.co.jp ↗ )。ここで求められているのは有効性への異議ではなく、範囲を決める権限を争わないことである。