存在論は、「あるものがあるとはどういうことか」を問う哲学の一分野である。個々の事物の性質ではなく、事物がいかなる仕方で存在し、何をもって同一の存在とみなされるかを扱う。芸術に関しては、作品の同一性がどこに宿るのか——物質としての支持体か、着想か、記録された指示か、鑑賞という出来事か——という問いとして現れる。
デジタル環境ではこの問いが先鋭化する。無限に複製可能なファイル、実行のたびに異なる結果を返すプログラム、トークンによって所有が記述される作品では、作品の所在と唯一性が物体から切り離される。生成モデルが出力を担う場合には、作者の位置や著作権の帰属といった制度的な枠組みまで揺らぐ。1960年代のコンセプチュアル・アートが物質性から観念へと重心を移したときに開かれた問いが、ブロックチェーンや機械学習の環境で改めて問われている、という系譜で語られることが多い。
具体的な作例としては、ケヴィン・アボッシュが平凡なジャガイモの写真を人間という種における個の存在の「存在論的プロキシ(代理体)」として提示した実践が挙げられる。ここでは存在論の問いが、同時に価値がいかに社会的に構築されるかという問いと不可分に結びついている。