客観的真実の解体とは、写真や映像が現実をそのまま記録しているという前提を疑い、イメージと真実の結びつきが何によって成り立っているのかを問い直す批評的な態度を指す。写真は長らく、被写体からの光を物理的に受け止めた指標(インデックス)として証拠能力を認められてきたが、デジタル化と機械学習による画像生成は、参照すべき被写体をもたないイメージを大量に生み出した。ここでは真実は像の内部に自動的に宿る性質ではなく、見る側が像に対して与える資格として扱われる。

この視点は真実の存在を否定するものではない。むしろ、真実がどのように構成され、付与され、再認されるのかを露わにし、判断の責任を鑑賞者の側へ差し戻す。ディープフェイクや情報操作、いわゆるポスト・トゥルースの状況において、この問いは倫理的な切実さを帯びる。

現代美術では、ケヴィン・アボッシュ存在論や価値の社会的構築とならぶ中心主題としてこの問題を扱い、機械学習によるイメージ生成を合成分光学と呼ぶ手法として展開している。展覧会《NEW TRUTH》もまた、合成された映像から抜き出された像を用い、実在の都市を記録したアーカイブから幻視されたような、見おぼえがあるのにどこにも見あたらない風景を提示した。いずれの実践でも、鑑賞者はイメージを即断で信じるのではなく、少し遅れて受け取ることを求められる。