序論:正式版のないゲームは誰が決めるのか

フォークゲームは「確定した正式版が存在せず、遊ばれるたびに再制作され、ローカルな『うちのルール』が併存する」ゲームとして定義される。この定義は『The Landlord's Game』から『モノポリー』への囲い込みという歴史的事例で裏づけられてきた。だが同じ構造は、著作者と製品が明確に一体化したはずの現代のデジタルゲームの内部にも現れている。プレイヤーが自分たちでルールを作り、その運用を自分たちで裁定する層が、商業ゲームの上に重ねて存在するからである。本展《Any% Multideveloper — Reality in Polyphony》の題名にある「Any%」は、まさにその層で生まれたルール名である。

本稿は、フォークゲームの鍵を「権利の不在」ではなく「成文化されていない規約が運用を決めること」に置き直し、それを名指す既存の学術用語を確認する。そして2025年から2026年にかけて実際に起きた規約紛争を通じて、その規約が権威に転化する瞬間を観察する。

1. スピードランのカテゴリはフォークルールである

スピードランでは、走者たちが集まってルールセットを取り決め、それぞれを「カテゴリ」と呼ぶ。「Any%」は最も一般的なカテゴリで、手段を問わずゲームを最短でクリアすることを指す。ルールは開発者が定めたものではなく、走るコミュニティが定めたものである。

この構造はフォークゲームの定義とほぼ一致する。ゲーム本体(商業製品)は固定されているが、その上で遊ばれる「ゲーム」の輪郭は、遊ぶ人々の合意によって作られ、コミュニティごとに変形する。『モノポリー』における「うちのルール」の位置に、スピードランでは「カテゴリ」が入る。

2. 既存の名前:ゲームのエートス

この「成文化されていないが運用を決める規約」には、すでに名前がある。スポーツ哲学者フレッド・ダゴスティーノは1981年の論文「The Ethos of Games」で、ゲームのエートスを「ゲームのルールが具体的な状況においてどのように適用されるべきかを決定する、非公式で暗黙の規約の集合」と定義した(D'Agostino 1981, p.15)。

ダゴスティーノは規約主義(conventionalism)の創始者として位置づけられる。規約主義は、スポーツが成文ルールのみで構成されるとする形式主義(formalism)に対し、成文ルールと規約の両方から成ると主張する。標準的な例として挙げられるのは、サッカーで選手が治療を要するときにボールを外に出す慣行である。そう定める成文ルールは存在しないが、従わない選手は非難を受ける。

ゲームスタディーズにおいては、マルティン・リクサンドが2021年の論文でこの枠組みをスピードランに適用している。リクサンドは形式主義・規約主義・解釈主義の三つを検討し、いずれも「グリッチレス」カテゴリに何が属するかを決める基準としては不十分だと論じた。彼の批判は、スピードランのコミュニティが「原理的な推論ではなく、恣意的な投票と慣習」に依拠している点に向けられている。

なおリクサンドは、YouTuber の EZScape による区別を採用している。グリッチは「意図されていないメカニクスによる意図されていない結果」、エクスプロイトは「意図されたメカニクスによる意図されていない結果」である。この区別自体もまた、学術的な定義ではなくコミュニティ由来の語彙がそのまま参照されている例である。

3. 規約が権威になるとき:2025–2026年の入力切替紛争

規約主義の弱点は、スタンフォード哲学百科事典が明快に述べている。規約主義は「批判的な刃を欠く」——ある規約がそのゲームで実際に機能しているという事実は、その規約が機能すべきかどうかを何も語らない。同項目は、規約であれば内容を問わず規範になってしまう危険を、明白に許容できない差別的慣行の例で示している。

この弱点は抽象的な思考実験にとどまらなかった。『Super Mario Bros.』のスピードランでは、コミュニティの決定はボランティアのモデレーターチームが管理し、彼らが投稿された走行を検証し、リーダーボードのルールに投票する。そこで2025年から2026年にかけて次の経過が記録されている。

  • 2025年10月:キーボードと NES コントローラー間の入力切替が許可される
  • 2026年2月:この手法を禁止する提案が過半数の賛成を得る
  • 2026年3月30日:Niftski が averge11 による投票の不正操作を告発する
  • 2026年7月:コミュニティからの反応を受けて決定が撤回される

ここで争われたのは走行の速さではなく、規約を決める手続きの正統性である。投票という手続き自体が権力の場になり、その正統性が疑われ、そして覆された。リクサンドが2021年に「恣意的」と批判した構造が、5年後に当事者たちの紛争として顕在化したと読める。

4. 誤用の正典化との接続

前サイクルで提出した誤用の正典化は、プレイヤーによる誤用が公式機能として制度化される循環を指す。エートスという概念は、その循環の手前にある層を名指す。誤用はまず規約として共有され、エートスの一部になる。制度化はその後に来る。

そしてピュエリリズム——ホイジンガが真面目と遊びの境界の崩壊として論じた状態——との関係も、この層を経由すると見通しがよくなる。エートスが成文ルールに書き上げられ、規約を担っていた共同体がその改訂から切り離されたとき、遊びの形式だけが残って遊びの主体が失われる。入力切替紛争で告発されたのは、まさに「投票の形式は残っているが、それが共同体の合意を代表していない」という事態だった。

結論

フォークゲームを特徴づけるのは、権利者の不在よりも、エートスの所在である。誰が規約を持っているかが問われる限り、そのゲームはフォークである。デジタルゲームは製品として固定されても、その上のエートスは依然としてフォークであり続ける——ただしそのエートスが手続きに固定され、手続きが共同体から離れた瞬間に、フォークではなくなる。

本稿は「誤用の正典化はいつピュエリリズムに転じるのか」という問いに対し、エートスの所有権が共同体から手続きへ移るときという仮説を置く。入力切替紛争はその移行が争われた事例であり、2026年7月の撤回は共同体側の押し戻しが成功した記録である。

参考文献