序論
「パヴェーシブ・ゲーム(pervasive game)」は、遊びの範囲を日常の時間・空間・人間関係のほうへ広げるゲームを指す語である。最も広く引かれている定義は、マルクス・モントラ、ヤーコ・ステンロス、アンニカ・ヴェーンによる『Pervasive Games: Theory and Design』(2009年)のものだ。モントラの博士論文『On the Edge of the Magic Circle』(タンペレ大学、2012年、全文PDF)は同書の第1章をそのまま収録しており、そこに一文で置かれている。
A pervasive game is a game that has one or more salient features that expand the contractual magic circle of play spatially, temporally, or socially.
訳せば、パヴェーシブ・ゲームとは、遊びの契約的なマジックサークルを空間的・時間的・社会的に拡張する際立った特徴を一つ以上もつゲームである、となる。
この定義で重いのは「契約的な(contractual)」という形容である。ゲームの内と外を分ける境界は、物理的な線ではなく、参加者どうしが結んだ取り決めだ——マジックサークルをそう読み替えたうえで、その取り決めの及ぶ範囲を広げるのがこの形式だ、と言っている。ところが同じ章の数ページ先で、広げた先にいる人が名指される。そして、その人は契約していない。
この記事は二つのことを追う。ひとつは、定義が自ら作り出したこの一人がその後どう扱われたか。もうひとつは、この語自体がどこから来て、いま誰の記録に残っているか。二つは別々の話に見えて、同じ一点で合流する。
定義が作る一人
社会的な拡張について、モントラはこう書いている。
The definitions of game and play typically stress the voluntary and artificial nature of play. Blurring the social boundary of games compromises these properties, as a bystander cannot willingly decide whether to witness a water-pistol assassination or not. This makes the use of bystanders an attractive, versatile, powerful, and dangerous way of designing games.
水鉄砲による暗殺を目撃するかどうかを、通りすがりの人は選べない。ゲームと遊びの定義がふつう強調する自発性が、社会的境界をぼかした時点で成り立たなくなる。だから傍観者を使うことは、魅力的で、応用が利き、強力で、危険な設計手法になる——そう述べたうえで、モントラはその人に名前を与える。
Due to the lack of voluntariness, the unaware participants are not players.
自発性を欠くがゆえに、無自覚の参加者(unaware participants)はプレイヤーではない。彼らは心理学者マイケル・アプターの言う、遊んでいる人を包む「保護枠」——自分には害が及ばないという確信を与える心理的な壁——の外にいる。ゲームの記号世界を知らないので、ゲームに属する出来事を日常の出来事として解釈する。モントラが挙げる例は具体的だ。『Killer: The Game of Assassination』(スティーブ・ジャクソン、1981年)——参加者どうしが日常生活のなかで玩具の武器を使って暗殺しあうゲーム——のプレイヤーが本物らしく見える銃を無自覚の通行人に向ければ、それは本物の武装した脅威として扱われる。さらに一段進めて、モントラはこう書く。無自覚の参加者はバーナード・スーツの言う「遊戯的態度(lusory attitude)」も持たないので、居合わせた警察官は本物の暴力でその人を制圧する。
脚注でモントラは、この人物像をアウグスト・ボアールの「観客=俳優(spect-actor)」に接続している(『Games for Actors and Non-Actors』第2版、2002年、ラウトレッジ)。ボアールの不可視演劇では、公共の場で演じられる場面に居合わせた人は、それが上演だと知らないまま出来事の一部になる。ボアールは、その人が何もしないと決めた場合でも、受動でいることを選んだ能動的な参加者だと強調する。
つまりこの形式は、定義の水準で、契約に入っていないのに境界の内側にいる人という位置を作る。作るだけでなく、それを設計資源として使う。定義はここまでを書いて止まる。この位置に立たされた人がどの文書に記載されるのかは、定義からは出てこない。
名前はどこから来たか
2019年、タンペレで開かれたUrban Play Spring Seminarで、著者三人が『Pervasive Games』刊行10年を振り返る円卓討論に招かれた。記録は翌年、米国の学術誌『American Journal of Play』第12巻第3号に全文が載っている(全文PDF)。司会のデイル・レオルケが最初に訊いたのは、この語がいまも有効かということだった。モントラの答えはこうだ。
We actually settled on pervasive games for the worst possible reason: basically, it was a field that could get funded by the E.U. [laughter]. And since our subsequent project name was Integrated Project on Pervasive Games (IPerG), that's the term we chose for the book title.
考えうるかぎり最悪の理由でこの語に落ち着いた、EUの資金がつく分野だったから、というのである。当時すでに「ロケーションベースト・ゲーム」「ユビキタス・ゲーム」「ビッグ・ゲーム」など二十数個の競合語があった、とも彼は述べている。そのうちの一つが選ばれ、書名になり、分野の名前になった経路が、助成事業の略称だったことになる。
その助成事業の記録は、欧州委員会の研究成果データベースCORDISに残っている(プロジェクト004457)。読める項目はこうだ。正式名称はIntegrated project on pervasive gaming、略称IPERG。総事業費9,766,215ユーロ、うちEU拠出6,000,000ユーロ。調整機関はスウェーデン王立コンピュータ科学研究所(SICS)。採択されたトピックの番号と表題は、IST-2002-2.3.2.7「Cross-media content for leisure and entertainment(余暇と娯楽のためのクロスメディア・コンテンツ)」である。トピックの表題に「pervasive」の語はない。語を持ち込んだのは応募した側である。その語のついた事業に約976万ユーロが動き、事業の略称が書名になり、分野名になった。
CORDISの「Objective」欄には、事業側が提出した説明がそのまま入っている。書き出しは定義文の形をしている。
Pervasive games are a radically new game form that extends gaming experiences out into the physical world be it on city streets or in remote wilderness.
続きは市場の話だ。「Pervasive games are an exciting commercial prospect(パヴェーシブ・ゲームは胸躍る商機である)」と書かれ、携帯電話向けの無線ゲーム市場が数年で数十億ドル規模に達すると予測されていること、それが第3世代移動通信にとって重要な収入源になりうることが述べられる。
ここに同じ対象についての定義が二つ並ぶことになる。一つは2004年の申請書に由来し、CORDISの公的記録に載っている、市場を主語にした定義。もう一つは2005年以降に学術側で書かれ、書籍に載った、契約と境界を主語にした定義。書いたのは重なる人々で、間隔は一年ほどしかない。違うのは宛先である。
同じ企画について、記録が食い違う
CORDISの事実シートは、事業期間を2004年9月1日から2008年2月29日までと記載している。
同じ事業について、参加した側の記録は別のことを書いている。主導的パートナーの一つだった英国のアーティスト集団ブラスト・セオリー(Blast Theory)は、自サイトの事業紹介ページの冒頭で「The Integrated Project on Pervasive Gaming (IPerG) was an EU funded project from September 2005 to February 2008.」と書く(IPerG | Blast Theory)。『American Journal of Play』の編集前書きも「funded by the European Union (E.U.) from 2005 to 2008」とする。
終わりの月は三者で一致し、始まりの年だけが一年ずれる。どちらが正しいかは、公開されている資料だけでは決まらない。契約上の開始日と実務の立ち上がりが違ったのかもしれないし、単純な誤りかもしれない。ここで見るべきは正誤ではなく、どの欄でずれたかである。ずれたのは、資金の記録が最も厳密に持つ欄——期間——であり、そして参加者の側は誰もその欄を資金の記録に合わせ直していない。
消えたのは、研究側の記録だった
IPerGは成果物(deliverable)を番号つきで公開していた。そのうちD5.5は『Ethics of Pervasive Gaming』(2006年、モントラ、ヴェーン、ユッシ・クイッティネン、ステンロス)で、無自覚の参加者の扱いを正面から論じた文書である。モントラの博士論文はこれをiperg.sics.se ↗として引く。同じ論文の別の書誌欄は、姉妹にあたる成果物——D5.3B『The Domain of Pervasive Gaming』、D11.8付録C『Momentum Evaluation Report』、D8.8第2部——をwww.pervasive-gaming.org/Deliverables/配下として引く。事業のドメインが二つあり、成果物はそこに分かれて置かれていた。
2026年9月1日に確かめた結果はこうである。
iperg.sics.seは名前解決しない(Aレコードなし)。CORDISの事実シートはこのホストを「Project website」として記載しており、リンクを開こうとすると「Our security system detects an error while trying to access this website. It may no longer exist, or it has been hacked.」という注意書きが出る。pervasive-gaming.seも名前解決しない。pervasive-gaming.orgは生きている。ただしいまはWordPressで組まれた別のサイトで、<title>は「Pervasive-Gaming.org – Casino Games」、メニューは「Casino Games」「About」「FAQ」「Privacy」「Terms」である。旧い成果物のパス(/Deliverables/D5.5-Ethics.pdf、/Deliverables/D5.3b-Domain-of-Pervasive-Gaming.pdf)はHTTP 200を返すが、Content-Typeはtext/htmlで本文は空だった。
つまり、この分野が自分の倫理について書いた文書は、その分野の代表的な博士論文が示す住所には無い。ホストごと消えている。姉妹の成果物が置かれていたもう一方のドメインは生きているが、中身はカジノの広告サイトに入れ替わっている。一方、2004年の申請書に由来する商機としての定義は、欧州委員会のデータベースにいまも載っている。
残った記録は、金を出した側の記録である。これは資料の状態の記述であって、誰かの怠慢の指摘ではない。CORDISは事業が閉じたあとも事実シートを公開し続ける運用になっているが、研究機関が事業のために取ったドメインにそういう仕組みは付いていない。予算が切れれば更新の担当者もいなくなり、ドメインは失効し、値がつけば別の業者が買う。保存の差は、誰が熱心だったかではなく、記録を持つ組織がどれだけ長く続くかで決まっている。
著者たちが取り下げたもの
2019年の円卓討論で、著者たちは自分の書いたものの一部を引き取っている。取り消しは三つあった。
第一に、語そのものである。ヴェーンはこう答えた。
And I started to reflect on whether we who were involved in that project are using that term to describe our research today. And I would say that none of us do.
あの事業に関わった私たちが、いま自分の研究をこの語で説明しているかを考えてみた、そして誰もしていないと言える、というのである。彼女自身は「技術支援型ゲーム(technology-supported games)」という別の語を保持し続けたと述べ、「なぜ私たちは自分の研究をこの語で説明しなくなったのか」と問いを立てたまま次の話題に移る。
第二に、倫理の章である。ステンロスは、執筆当時は他の研究者が扱っていない主題を扱えたことを誇りに思っていたが、いま読み返すと書かなかった穴や気づいていなかった穴があること、逸脱的な遊び(transgressive play)の新しさに興奮しすぎていたこと、そして想定していたプレイヤーが中産階級の、特権的な人物であったことを挙げる。ポケモンGOのような規模になれば見る位置を変える必要がある、とも述べる。同じ流れで彼はこう付け加えた。
We also wrote a longer ethics report at the time, which includes some of the things we cut from this chapter of the book.
書籍の章から削った内容を含む、より長い倫理報告書を当時書いた——2019年の時点で著者が指し示したその報告書が、前節で確かめたD5.5である。
第三に、事実と虚構の境界をぼかすことである。ヴェーンは討論の終盤でこう述べた。
One thing that we actually celebrated to an extent in the book, later became weaponized in our cultural wars: the blurring of fact and fiction. If I was writing the book today, I would take that section out.
私たちが本のなかである程度称揚したことが、後に文化戦争のなかで武器化された、いま書くならその節は落とす、というのである。
この取り下げが何を指すかは、IPerG期の作品を見ると具体的になる。スウェーデン公共放送SVTとプロダクション会社The Company Pが2007年に制作した『Sanningen om Marika』(英題「The Truth about Marika」)は、テレビドラマと代替現実ゲームを組み合わせた作品で、モントラの博士論文はこれを、ドラマ本編と並んで捏造されたテレビ討論番組が放送された事例として記述している。同論文によれば、運営はゲーム内の掲示板やチャットで「ゲームの外」の話題を一貫して抑え込み、参加者に与えられた指示は一つだけだった——「これは本物だと思い込むこと(Pretend that it is real)」。ヴェーンが2020年に落とすと言った節が称揚していたのは、この種の設計である。
そして語彙のほうでも、取り下げは数えられる。円卓討論の掲載PDFから抽出した本文は、英語原文で31,040文字(空白込み)ある。話者は著者三人と司会、それに会場からの質問者で、これが母集団である。この分量のなかで「contract」は0回、「unaware」は0回。「bystander」と「nonplayer」は各1回だが、どちらも司会レオルケの質問文のなかにあり、著者三人の応答には現れない。「magic circle」は2回で、どちらもモントラの発言である。2009年の定義文を支えていた三語のうち、契約と無自覚の参加者は著者たちの2020年の応答から消え、マジックサークルだけが残った。
記録が残ったのは、作家の側だった
前節までの筋は「研究側の記録は消え、資金側の記録が残る」だが、これに収まらない側がある。作家である。
ブラスト・セオリーはIPerGの主導的パートナーの一つで、事業の枠内で二作を制作した。『Day Of The Figurines』——最大1,000人がショートメッセージで参加し、24日かけて架空の町の一日が進む作品で、2006年10月にベルリンのHebbel am Ufer劇場(HAU2)で開かれたFirst Play Berlinフェスティバルが世界初演。もう一つが『Rider Spoke』——自転車のハンドルに端末を載せて夜の街を巡り、問いかけに答えた録音を場所に隠し、他人が隠した録音を探して聴く作品で、2007年10月にロンドンのバービカン・センターで初演された。
この二作の記録は、2026年現在も同集団のサイトに、初演の年月と会場、その後の巡回先、共同制作者、そしてIPerGとの関係つきで公開されている。事業が終わって18年、研究機関側のドメインが二つとも使えなくなったあいだ、作家側の記録は同じ場所にある。
しかもそこには、この記事が追ってきた「契約」が別の形で現れる。同集団のIPerG紹介ページは、パヴェーシブ・ゲームの社会的拡張を、理論の用語を使わずにこう説明する。
And they might extend socially so that, for example, non-players are inadvertently part of the game.
非プレイヤーが意図せずゲームの一部になる、という言い方である。そして同じページは、自作『Uncle Roy All Around You』——2003年6月にロンドンの現代美術研究所(ICA)で初演された、街を歩く参加者とオンラインの参加者が協力して「アンクル・ロイ」を捜す作品——の終わり方をこう書く。
[It] culminates in a contract between two players picked at random in which they undertake to offer advice or support to one another if either player has a personal crisis in the next twelve months.
無作為に選ばれた二人のプレイヤーのあいだに契約が結ばれ、今後12か月のあいだにどちらかが個人的な危機に陥ったら助言か支援を差し出すことを引き受ける、というのである。
理論の側は、遊びの境界を「契約的(contractual)」と比喩で呼び、その比喩の外に無自覚の参加者を置いた。作品の側は、比喩ではない契約を、見知らぬ二人に、ゲームが終わったあとの12か月について結ばせた。契約という語がこの分野で最も具体的な意味を持ったのは、定義文のなかではなく、作品の終幕においてである。
何が残ったか
この語をめぐる記録の残り方は、次のようになっている。市場を主語にした定義は公的データベースに残った。契約を主語にした定義は書籍に残った。だが、その契約の外にいる人について書かれた報告書は、書誌の示す住所から失われた。作品の記録は作家のサイトに残った。そして著者たち自身は、語も、倫理の章も、事実と虚構の境界をぼかす手法も、程度の差はあれ引き取っている。
残っていないものを名指すために、定義が自分で作った語を取り出しておく価値がある。無自覚の参加者——自発的に入っていないがゆえにプレイヤーではなく、しかし境界の内側で出来事の一部になっている人。この語の生成力は、次の問いが立つところにある。この人のための文書は誰が書くのか。書かれたとして、どこに置かれ、何年もつのか。
参考文献
- Markus Montola, On the Edge of the Magic Circle: Understanding Role-Playing and Pervasive Games(タンペレ大学博士論文、2012年。書籍『Pervasive Games: Theory and Design』第1章を収録) trepo.tuni.fi ↗
- Dale Leorke (moderator), "Pervasive Games Ten Years Later: A Roundtable Discussion with Markus Montola, Jaakko Stenros, and Annika Waern", American Journal of Play, vol.12 no.3 (2020), pp.259–269 files.eric.ed.gov ↗
- European Commission, CORDIS, "Integrated project on pervasive gaming" (IPERG), Grant agreement ID 004457, FP6-IST, topic IST-2002-2.3.2.7 cordis.europa.eu ↗
- Blast Theory, "IPerG" blasttheory.co.uk ↗
- Blast Theory, "Day Of The Figurines" blasttheory.co.uk ↗
- Blast Theory, "Rider Spoke" blasttheory.co.uk ↗
- Augusto Boal, Games for Actors and Non-Actors, 2nd ed., Routledge, 2002(モントラが「無自覚の参加者」を接続する先)