新造語ではない。マルクス・モントラ、ヤーコ・ステンロス、アンニカ・ヴェーンが『Pervasive Games: Theory and Design』(2009年)で用いた術語 unaware participant の訳である。モントラの博士論文『On the Edge of the Magic Circle』(タンペレ大学、2012年)に同章が収録されており、そこで確認できる。

無自覚の参加者とは、ゲームの境界の内側で出来事の一部になっているが、その境界を作る取り決めに入っていない人を指す。ゲームが時間・空間・人間関係のほうへ広がるとき、広がった先には、遊びに加わると決めた覚えのない人がいる。街頭で水鉄砲の暗殺を目撃した通行人、その場に呼ばれた警察官、ゲームだと知らされずに放送を見た視聴者。彼らは境界の内側にいながら、参加を選んでいない。

この語の要点は、否定形の側にある。モントラは「自発性を欠くがゆえに、無自覚の参加者はプレイヤーではない」と書く。プレイヤーでないことから三つのことが導かれる。第一に、遊んでいる人を包む心理的な保護枠——マイケル・アプターの言う、自分には害が及ばないという確信——が働かない。第二に、ゲームの記号世界を知らないので、ゲームの出来事を日常の出来事として解釈する。玩具の銃は本物の銃として見える。第三に、バーナード・スーツの言う遊戯的態度(前ゲーム的目標の項を参照)を持たないので、規則によって手段を制限しない。居合わせた警察官は本物の暴力で応じる。

この語が名指しているのは、人の心理状態ではなく、文書の配置である。ゲームには規約があり、参加者名簿があり、事後の記録がある。無自覚の参加者は、そのどれにも自分を記載させる資格を持たない。境界の内側で起きたことの当事者でありながら、境界を定義した文書の外にいる。だから、この人について何かが書かれるとすれば、それはゲームの側の文書ではなく、別の主体——会場、自治体、警察、放送規制、あるいは倫理報告書——が書くことになる。その文書が書かれたか、どこに置かれたか、いま読めるかは、その都度確かめるほかない。

系譜としては、アウグスト・ボアールの「観客=俳優(spect-actor)」が先行する(『Games for Actors and Non-Actors』第2版、2002年)。モントラ自身が脚注でこの接続を明示している。ただし両者は同じではない。ボアールのフォーラム演劇では観客=俳優は自分が上演に介入していると知っており、知らないまま巻き込まれるのは不可視演劇の場合である。無自覚の参加者は、後者の側にだけ重なる。

事例

  • 『Killer: The Game of Assassination』(スティーブ・ジャクソン、1981年)。参加者が日常生活のなかで玩具の武器を使って互いを「暗殺」するゲーム。モントラが定義の説明に用いた標準例で、本物らしく見える銃を無自覚の通行人に向ける事態、そこに呼ばれた警察官の反応までを含めて論じられている。(モントラ博士論文
  • ブラスト・セオリー『Uncle Roy All Around You』(2003年6月、ロンドンの現代美術研究所ICAで初演)。街を歩く参加者とオンラインの参加者が協力して「アンクル・ロイ」を捜す作品。同集団は自らの解説で、パヴェーシブ・ゲームの社会的拡張を「非プレイヤーが意図せずゲームの一部になる」と書いている。同作は最後に、無作為に選ばれた二人の参加者のあいだで、今後12か月にどちらかが個人的な危機に陥ったら支援を差し出すという契約を結ばせる——比喩ではない契約が、境界の内側の二人にだけ結ばれる。(Uncle Roy All Around You | Blast TheoryIPerG | Blast Theory
  • 『Sanningen om Marika』(2007年、スウェーデン公共放送SVTとThe Company P)。テレビドラマと代替現実ゲームを組み合わせた作品で、ドラマ本編と並んで捏造されたテレビ討論番組が放送された。参加者に与えられた指示は「これは本物だと思い込むこと」の一つだけで、運営はゲーム内の掲示板やチャットで「ゲームの外」の話題を抑え込んだ。放送を受け取った側の一部は、ゲームが行われていることを知らされていない。(モントラ博士論文
  • ポケモンGOの群走。ヤーコ・ステンロスは2019年の円卓討論で、執筆時には想定できなかった現象として、レアなポケモンが出現すると500人が同じ方向へ走り出す事態を挙げている。走る人はプレイヤーだが、その通りにいた人はそうではない。(American Journal of Play, vol.12 no.3 (2020)
  • アウグスト・ボアールの不可視演劇。公共の場で、上演だと告げずに場面を演じる手法。居合わせた人は上演の内側にいながら、上演だと知らない。モントラが「無自覚の参加者」を接続した先である。