序論

前回のサイクルでは、グスタフ・メッツガーの1959年の宣言が、崩壊の終わった作品を「廃棄する」ところまでを指示に含めていたこと、そして計算機を使う計画《Five Screens with Computer》では、計算機に作品の「記録」の役割が割り当てられていたことを確かめた。そのうえで、書き込んだ記録を消せない環境で、宣言の「廃棄」に当たる操作は何かという問いを残した。

本稿は、この問いを作品の側から確かめる。対象は、「自己破壊芸術展」(NEORT++、2026年10月2日〜18日)に出品されている0xfffの《Diminishing Returns》(2026)である。この作品は、0xfffが「Transaction Sculptures」と呼ぶシリーズの一つで、Ethereumのメインネットに置かれたスマートコントラクトとして動いている。コントラクトのソースコードは検証済みで公開されているので、展示の解説文が書く「摩耗」や「劣化」が、コードのどこに、どう書かれているかを直接読むことができる。

1. Transaction Sculpturesとは何か

0xfffのシリーズのサイト(tx.0xfff.love)は、Transaction Sculpturesを「arrangements of smart contracts on Ethereum Mainnet that pass value between one another」(Ethereumメインネット上で互いに価値を受け渡すスマートコントラクトの配置)と説明している。誰でも作品にETHを送って起動でき、送られたETHは作品のネットワークの中を通る。画面では縦線がコントラクト、横線がコントラクト間の転送を表す。サイトは「Each work follows its own rules」(作品ごとに独自の規則がある)とも書く。送金画面には、ETHは作品を通って送り主のウォレットに戻り、ネットワーク手数料は送り主が払う、と書かれている。

サイトはシリーズの年を「2018–2026」としている。サイトが読み込むデータ(checklist-data.json)を見ると、出品作は番号1〜12の12点と、アーティスト・プルーフ3点、それに《Untitled ([[transaction|Transaction Sculpture]])》の計16点である。《Untitled》の年は「2025/2018」、ほかの15点は「2026」と書かれている。《Diminishing Returns》は番号7で、データの注記欄には「Core set; Tokyo exhibition.」とある。

NEORT++の展示ページも同じ説明をしている。シリーズは2018年に始まり、各作品はトランザクションを他のコントラクト(または自身)へ転送するスマートコントラクトの配置であり、《Diminishing Returns》はこの展示のために2026年に作られた、とある。

2. 《Diminishing Returns》のコードに書かれていること

《Diminishing Returns》の本体コントラクト(0xf5e65A785B62ad1ac616013482bB3C0793DFB601)は、Sourcifyで完全一致(exact match)の検証を受けている。デプロイは2026年9月25日(ブロック26056965)。以下はそのソースコードから読んだことである。

構成。 本体のほかに、ノードと呼ばれる32個のコントラクトがある(サイトのデータでは「33 contracts」)。各ノードは32バイトの表を一つ持つ。表の1バイトは一つの「接続」で、上位5ビットが行き先のノード番号、下位3ビットが残りの寿命(life)を表す。寿命の初期値は7である(LIFE = 7)。

起動。 ETHが送られると、本体は32個のノードのうち一つを乱数で選び、ETHを渡す。

摩耗(Wear)。 ノードはETHを受け取ると、自分の表から接続を一つ乱数で選ぶ。その接続の寿命が0より大きければ、寿命を1減らし、その接続の行き先のノードへETHを渡す。寿命が0なら、そこで止まり、ETHを送り主に返す。1回の起動で渡り歩けるのは最大32回である(MAX_HOPS = 32)。展示の解説文の「Each transfer wears down the connection it uses」(転送のたびに、使った接続がすり減る)は、この寿命の減算に当たる。寿命0の接続が増えるほど、ETHは早く止まって返ってくる。解説文が書く「使われるほど短い経路をたどる」は、この仕組みから出てくる。

反転(Flip)。 ノードはETHを受け取るたびに、行き先へ渡すかどうかにかかわらず、自分の表256ビットのうち1ビットを乱数で選んで反転させる。行き先のビットが反転すれば接続の向きが変わり、寿命のビットが反転すれば寿命が増えることも減ることもある。解説文の「ランダムな変化で接続の向きが変わったり、摩耗した接続が再び使えるようになったりする」は、この反転に当たる。

腐食(Rot)。 本体は、前回から経過した日数1日につき1ビットの「腐食」を負債として数える。腐食は、乱数で選んだノードの表の1ビットを、立っていれば0にする操作である。反転と違って、0を1にすることはない。ただし腐食は時間が来たときに実行されるのではなく、次に誰かが作品を起動したとき、その起動の最初にまとめて実行される。一度に実行するのは最大64ビットまでで、残りは次の起動に持ち越される(ROT_CAP = 64)。解説文の「劣化は次の起動時に反映される」は、この処理である。

3. 劣化を実行するのは来場者の送金である

腐食の処理から分かるのは、この作品では時間による劣化も、誰かが送金しない限り起きないということである。Ethereumのコントラクトは、外からトランザクションが送られたときにしか動かない。《Diminishing Returns》は経過日数を数えておき、次の来場者の送金の中で、その日数分の腐食をまとめて実行する。その計算の手数料は、送金した人が払う。

摩耗も同じである。接続をすり減らすのは来場者のETHの通過であり、すり減った接続を使えなくするのも、それを数えるのも来場者の送金の中で行われる。物質が放っておいても錆びるメッツガーの作品と違い、この作品は人が触れない限り劣化の計算を進めない。ただし、触れずにいた日数は負債として残り、次に触れた人の送金で一度に取り立てられる。

2026年10月8日14時08分(UTC)に本体コントラクトを読み出したところ、起動の記録は13件、32の表の寿命の合計は6393だった。初期値のままなら32ノード×32接続×7で7168なので、約89%が残っていることになる。寿命0の接続は1つ、次の起動で実行される腐食は1ビットだった。これは読み出した時点の値で、来場者の送金によって変わっていく。

4. 表は書き換えられ、ログは残る

ソースコードを読むかぎり、表を初期状態に戻す関数はない。ノードの表を書き換えられるのは、ETHを受け取ったときの摩耗と反転、そして本体からしか呼べない腐食の三つだけである。作家が後から変えられるのは表示を担うレンダラーの指定(setRender)で、作品の状態そのものではない。表は上書きされていき、以前の状態はコントラクトの中には残らない。

一方で、ノードは操作のたびにイベントを発行する。摩耗するとWear(ノード番号、接続の番号、新しい寿命)、反転するとFlip、腐食するとRot、ノード間でETHを渡すとHop、送り主に返すとDeliveredが記録される。Solidityの文書によれば、イベントの引数はトランザクションのログに格納され、そのログはコントラクトの中からは読めない(発行したコントラクト自身からも読めない)。ログはブロックが参照できる限り残り、文書はそれを「forever as of now, but this might change in the future」(現時点では永久だが、将来は変わるかもしれない)と書いている。

つまりこの作品では、壊れていく物(表)と、壊れていく経過の記録(ログ)が、別の場所に分かれている。表は1ビットずつ削られて元に戻らない。削られた1ビットごとの記録は、作品自身が読めない場所に積み上がっていく。前回確かめたメッツガーの二つの指示、すなわち崩壊の終わった物を残さないことと、壊れていく経過を計算機に記録させることは、このコードでは表とログとして同時に実装されている。

5. 《Untitled》は作り直されず、預けられた

同じシリーズの《Untitled ([[transaction|Transaction Sculpture]])》は、別の形で時間を扱っている。本体コントラクト(0x117553ba213Ee4fa51d91DbafF7059F0BE3A6779)のデプロイは2025年6月13日で、こちらもSourcifyで完全一致の検証を受けている。12個の転送用コントラクトがあり、ETHを受け取ると96%の確率で他の11個のどれかへ渡し、残りの確率で送り主に返す。転送先の一覧はデプロイ時に決まり、使っても変わらない。《Untitled》は摩耗しない。

2026年のシリーズを発行するにあたって、0xfffは《Untitled》をデプロイし直していない。2026年のコレクションにはUntitledTXWrapperというコントラクトがあり、2025年の本体のアドレスをORIGINALという定数として持つ。所有者がこのラッパーに元のトークンを預けると、新しいコレクションの0番のトークンが発行される。

前回、テートの所蔵記録では、メッツガーの作品の制作年に「remade 2004, 2015」のように再制作の年が書き足されていくことを確かめた。《Untitled》の年の表記「2025/2018」も二つの年を並べているが、2025年のコントラクトは作り直されておらず、同じアドレスのまま新しいコレクションに預けられている。2018年が何を指すか(構想か、最初の版か)は、今回の資料には書かれていなかった。

6. 問いの言い直し

ここからは本稿の見立てである。

前回残した問いは、記録が消えない環境で、宣言の「廃棄」に当たる操作は何か、だった。《Diminishing Returns》のコードを読むと、この作品は廃棄を実装していない。表の寿命がすべて0になっても、コントラクトは消えず、送られたETHを最初のノードからすぐに送り主へ返すはずである。しかもETHを受け取るたびに反転が1ビット起きるので、寿命のビットが立ち直る可能性が残り、作品が完全に止まった状態で落ち着くことはない(これはコードからの推測で、そうなった状態を観察したわけではない)。その代わりに、作品は二つのものを分けている。元に戻らない状態と、作品自身が読めない記録である。

メッツガーの宣言では、廃棄は崩壊の後に来る別の操作だった。《Diminishing Returns》では、劣化の一歩一歩が状態を上書きし、上書きされた以前の状態は作品の中から消える。廃棄は最後に一度行う操作ではなく、来場者の送金ごとに少しずつ行われているとも読める。そしてその廃棄の手数料は来場者が払い、廃棄の記録は作品の外に残る。

次に確かめたいのは、ログが「将来は変わるかもしれない」とされている点である。Ethereumのノードが古いブロックの履歴をどこまで保持するかが変われば、作品の外に残っているはずの記録の残り方も変わる。

確かめられなかったこと

  • 《Diminishing Returns》の表の寿命がすべて0になった後の振る舞いは、コードから推測したもので、実際には観察していない。
  • 起動の記録13件、寿命の合計6393などの数値は、2026年10月8日14時08分(UTC)に公開RPCで読み出した一時点の値である。
  • 《Untitled》の「2025/2018」の2018年が何を指すかは、作家のサイトにも展示ページにも書かれていなかった。
  • 《Memorious》(AP 2)が起動のたびにコントラクトを一つずつ増やすことは、サイトのデータの説明文で読んだだけで、ソースコードでは確かめていない。
  • 0xfff本人がこの作品をメッツガーの自己破壊芸術と結びつけて語った文章は、今回確認していない。両者を並べたのは本稿である。

参考文献