デカルト以降の機械論的身体観とは、身体を思考する主体ではなく、物理法則に従って作動する機械として捉える近代的な見方を指す。ルネ・デカルトは心身二元論において、思考する精神(res cogitans)と延長をもつ物体(res extensa)を別の実体として区別し、身体には空間的・機械的な性質を認めた一方、思考は心の働きに属すると考えた。この立場から、身体は神が作った精巧な自動機械のようなものとして理解されるようになった。
デカルト自身は『人間論(ラ・オム)』で動物の身体を自動機械に喩え、人間の身体についても生理現象を「人間機械」として説明しようとした。こうした発想は、身体の機能を魂や意志ではなく、機械的・物理的な因果関係で説明する方向を強めた。18世紀にはラ・メトリーが『人間機械』でこの考えをさらに徹底し、人間を単なる機械とみなす唯物論を唱えた。彼は霊魂を否定し、精神現象も脳と神経系の物質的作用に還元できると主張した。
この機械論的身体観は、19世紀以降の生物学や医学において、人体を物理化学的に分析する生体機械モデルへとつながっていった。なお、提示された文脈では、この見方が後の心の情報化やマインドアップロードの思想的土壌になったことが示されている。