ビデオゲームとは、計算機がルールを実行し、その状態を映像として出力し、プレイヤーの入力に応じて状態が更新される娯楽形式である。ルール、目的、勝敗や得点、そしてプレイヤーの介入を前提とする点で、鑑賞者が受け取るだけの表現とは構造が異なる。1970年代以降、アーケード筐体、家庭用ゲーム機、パーソナルコンピュータ、携帯端末とプラットフォームを移しながら大衆文化の中心的な位置を占めるようになった。ソースコード、ROMカートリッジ、実行環境、開発者の記録、パッケージアートまでを含む複合的な人工物であり、コンピュータサイエンス、芸術、人文学、社会科学が交わる対象として研究されている。
ビデオゲームが芸術として扱われる過程は、既存の芸術制度との軋轢を伴った。映画評論家ロジャー・イーバートが2005年から2010年にかけて「ビデオゲームは決して芸術にはなり得ない」と主張した論争は、その象徴である。スコアやルール、勝敗が存在し、プレイヤーの主体的なインタラクションを要求するゲームは、作家個人の単一のヴィジョンを提示する伝統的な芸術とは本質的に異なるという論だった。これに対しゲーム研究やニューメディア・アートの領域は、ゲームを「読むべきテクスト」ではなく「プレイされるべきアルゴリズム的文化」として再定義することで応答し、MoMAやスミソニアン・アメリカ美術館(2012年「The Art of Video Games」展)などがゲームを収蔵・展示するようになった。
メディアアートの文脈では、ビデオゲームは遊ぶ対象にとどまらず、コードやインターフェースを露呈させる作品、改変(mod)文化を取り込む作品、政治的介入や追悼の場、仮想世界を持続させる社会的・経済的プラットフォームとしても扱われる。またゲームエンジンは、カメラ・セット・俳優・物理法則を一体で備えた可動式の映画スタジオとして流用され、マシニマやゲームエンジン・シネマといった実践を生んだ。プレイヤーをシステムに従属させる権力構造を逆手に取り、本来の目的やルールを無効化する介入もこの領域の主題であり、ビデオゲームはワールドビルディングの基盤としても理解されている。