利用者炭素は、ある資産を使用段階で利用する人の活動にともなって生じる温室効果ガス排出を指す。資産そのものを動かすためのエネルギーと水の消費(運用炭素)とも、材料の製造・施工・解体にともなう排出(埋込炭素)とも区別される。
新造語ではない。建築環境の分野で確立した用語であり、RICS(王立チャータード・サベイヤーズ協会)の職業基準『建築環境のための全生涯炭素評価』第2版(2023年9月公表、2024年7月1日発効)が、モジュール B8 の名としてこう定義している——「使用段階における利用者の建物またはインフラの利用に伴う温室効果ガス排出(B6 および B7 を除く)」。同基準が挙げる例は、オフィスへの通勤と、道路を走る車両である。
この用語を美術の作品に当てると、二つのことが見えてくる。
第一に、時間を持つ作品には、この区分に落ちる稼働がある。録画された映像や物質の彫刻と違い、リアルタイム計算で走り続ける作品、ブラウザで描画される作品、鑑賞者の端末で実行される作品は、鑑賞されているあいだ電力を消費する。その電力が会場の機械のものであれば、それは会場の運用炭素であり、電力会社との契約を通じて会場の帳簿に載る。だが計算が鑑賞者の端末に移ると、同じ稼働が利用者炭素になる。作品の側は何も変わっていないのに、費用の宛先が変わる。
第二に、その欄は任意である。RICS 基準の第5.5節は「評価対象の資産に関連する利用者活動の影響の定量化は任意であり、モジュール B8 の情報は WLCA における追加情報を構成する」と書き、B8 の下位モジュールにはすべて「(optional)」を付す。報告様式でも B8 の行は「(where relevant)」である。美術部門で広く使われている Gallery Climate Coalition の算定機には、そもそも該当する欄がない。デジタルの欄は「組織のウェブベースの活動」——クラウドサービスやウェブサイトのホスティング——に限定され、閲覧する側の端末を含まない。来館者の移動は「shared emissions」として別に数えられるが、来館者の端末で走る作品の電力を数える場所はない。
したがって利用者炭素は、名前は与えられているが記入されないことを前提に設計された欄である。作品の配信がオンラインへ移るほど、その作品の稼働は、名前があって記入されない側へ寄っていく。
この語を使うと、時間を持つ作品について次の問いが立つ。この作品の稼働はいま誰の帳簿にあるのか。制作者・所蔵先・会場・鑑賞者のうち、誰がその数字を出せる位置にいるのか。そして、作品が「止まらないこと」を形式の条件として掲げるとき、その条件を実際に支えているのは誰の機械なのか。
事例
ジョン・ジェラード《SPIRITS》(2025–26) — 四つの大洋の浜で拾われた96個の漂着プラスチックの靴をガウシアン・スプラットとして描く作品で、ロサンゼルス郡立美術館(LACMA)の Art + Technology Lab が2025年12月21日の冬至から公開している。「モバイルウェブブラウザ用に WebGL 技術で特に設計され」、冬至・春分・夏至・秋分の四つの日に深夜から深夜まで美術館のホームページを占める。描画は鑑賞者の端末で走る。作品の主題は石油とプラスチックだが、その表示にかかる電力を数える枠は、美術館側にも美術部門の算定機にも用意されていない。https://unframed.lacma.org/2025/12/11/john-gerrard-spirits
ジョン・ジェラード《Western Flag (Spindletop, Texas) 2017》 — 「シミュレーションは非持続的(始まりも終わりも持たない)であり、必要になるたびにアニメーションの各フレームを計算するソフトウェアによってライブに走る」と作家サイトが記述する作品。会場に据えられた LED 壁で示されるかぎり、この稼働は会場の運用炭素である。2017年のサマセット・ハウスでの初出は「毎日 7am–11pm」の7日間だった。https://www.johngerrard.net/western-flag-spindletop-texas-2017.html
Art Blocks・fxhash 等のブラウザ実行型ジェネラティブ作品 — 出力がコレクターの端末で毎回計算される形式では、作品の稼働は原理的に利用者側にある。ジェラード《Petro National》(2022)は196の国・地域を一人あたり石油消費量に応じた厚みの油膜として描き、それぞれの首都の現地時刻に同期して昼夜と季節が動く。石油消費を主題としながら、その表示の電力は制作者・販売所・所蔵者のいずれの帳簿にも現れない。https://www.johngerrard.net/petronational.html
Low-tech Magazine の太陽光ウェブサイト(Kris De Decker、2018年9月〜) — 30W の太陽光パネルと 168Wh の鉛蓄電池で自家ホスティングし、消費は1〜2.5W。サイト自身が「時々オフラインになる」と明記し、2018年12月から2019年11月までの351日で稼働率 95.26% だったと公表する。サーバ側の稼働を可読にした実践だが、閲覧する側の端末の分は依然として数えられていない。https://solar.lowtechmagazine.com/about/the-solar-website/
Solar Protocol(Tega Brain、Alex Nathanson、Benedetta Piantella) — 世界各地の太陽光サーバのネットワークにホストされ、その瞬間にいちばん太陽光を得ているサーバへ通信を振るウェブ・プラットフォーム。「すべてのサーバで蓄えられたエネルギーが不足すれば、ウェブサイトは落ちることがある」と記述する。http://solarprotocol.net/
RICS『建築環境のための全生涯炭素評価』第2版(2023) — 用語の出典。B6・B7 を運用炭素、A0–A5・B1–B5・C1–C4 を埋込炭素、B8 を利用者炭素とし、三者を合わせて全生涯炭素と呼ぶ。B8 の定量化は任意と明記されている。https://www.rics.org/content/dam/ricsglobal/documents/standards/Whole_life_carbon_assessment_PS_Sept23.pdf